侘びと寂び

日本人の美意識は自然崇拝から発生している。西欧のような華美な装飾や対称の美をもって美とはしない部分がある。神道のお社は、簡素質素で清浄。自然と溶け込むくらい調和してる。

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自然が培う美意識とは、調和と無為。あるがままの姿、穢れ無き姿がもっとも美しいとする感性。簡素で自然な姿に美を見出した。

「わび・さび」も日本の美意識が現れたもの。侘(wabi)は「正直に慎み奢らぬ様」「清浄無垢」を表し、寂(sabi)は古いものの内側からにじみ出てくるような、自然そのものの作用に重点をおいた、外装などに関係しない美しさの事。

わびの中に、穢れ無き美しさを見出し、さびの中に自然そのもののあるがままの美しさを見出す。

日本が発見し、価値を見出した「わび・さび」の美の最大の特徴は、質素倹約でありながら、美でもあるという点。美しさを求めるのに必ずしも富を必要としないところ。王侯貴族だろうが、庶民だろうが同じように「わび・さび」の美を求めることができる。美が上流階級だけのものじゃない。

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「美に殉じる国民性」のエントリーの中のスキラッチのインタビュー記事の訳者は、イタリアでは、豪華で美しいものは上流階級のものであって、ある程度から先は自分たちには関係ないという意識が、庶民的感覚に根付いているために、「遺跡や美しい街を誰もが愛しているとは限らない」ということも出て来るのだろうと指摘している。

日本的美意識は、富と無関係であるが故に、庶民への普及を促進し、生活に密着した。日本人は、自らの立ち振る舞いや心根から美を追求した。

フランシスコ・ザビエルが当時の日本をさして語っているように、日本人にとって、貧困は貴族にとっても武士にとっても平民にとっても、決して恥ずかしいことでも、不名誉なことでもなかった。正直さが美徳として通用する社会を当時からつくりあげていた。

わび・さびに代表される、その身そのままで美しいとする自然な美意識は、同時に日本人の特質になっていった。

フランスの駐日大使をやっていたポール・クローデルは、昭和18年に日本が敗戦濃厚になった時、パリでこのように言った。

「日本は貧しい。しかし、高貴である。世界の民族でただ1つ、どうしても残ってほしいと思う民族をあげるとしたら、日本人だ」

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この記事へのコメント

  • あきつ

    美しい話題でありました
    2015年08月10日 18:19

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