日本人がなぜ諦めが早いかというと、日本人の持つ美意識に起因してる。
昔、ジュビロ磐田でプレーしたスキラッチは、日本の美意識についてこう語っている。多少長くなるが引用してみる。
──日本のことで何があなたの心に残りましたか?
「美意識です。
イタリアは遺跡や世界で最も美しい街の数々、並外れた素晴らしい景色などがたくさんある国だと思います。
ローマ、ヴェネツィア、シチリアなどを思い起こすだけで分かりますよね。
イタリア人なら誰でも知っている物たちですが、誰もがそれらを愛しているとは限りません。
日本では常にバランスや調和が模索されます。つまり調和のとれた物が美しいということです。
生け花も、完璧に手入れされた庭園も、まさに芸術である漢字をふくむ書体などは世界一エレガントだと思いますが、すべてが調和の美です。
私は日本での4年間で多額の報酬を受けましたが、なによりも私が学んだ事は、より高く羽ばたくということについてです‥‥」
引用元:http://www.1101.com/francorossi/2006-12-12.html
イタリア人が日本の中に美意識を見ている。
豊かな自然に囲まれた国土に生きる日本人は、優れた美意識を自然と身に着けている。無自覚のうちに。
そして、その美意識はおそらく生き方にまで影響してる。日本人の生き方の選択として、美に殉じてしまう所があるということ。
美は調和であり、穢れなき姿。だから総てがいさぎよくなくちゃいけない。勝負がついているのに、諦めず粘りまくるなんて、見苦しいことこの上ない。美しくない。醜い。あっさりと勝負を投げることになる。
美はどこからみても美しくなくちゃならないから、すべては完全」であるべきと考える。
完璧を求めるということは、少し瑕があっても全体でよければ良しという考えができないということ。部分で完璧を求めすぎると、全体調和が狂うことすらある。
升田幸三のいう日本人は総合力を出し切れないというのはこのことを言っているように思えてならない。
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この記事へのコメント
江戸屋
我々人間が作る芸術品には、寧ろ、作為的に歪みを入れ、より自然に近い状態に作り上げ、自然も含む周囲のモノと見事調和するように仕上げているように思えます。
日本人のファッションなんかもそうではないですか?
晴れの舞台でも、西洋人は、ビシッと完璧に決めるのが好きですが、我々日本人は、それにプラスアルファー。敢えて、完璧から少し崩したり、遊んだりして着こなしませんか。
この崩しの計算は、西洋人にはなかなか真似ができないところですよ。
ですから、我々日本人のファッションやデザインが斬新でクールにうつっているのでしょう。
と・・・、いい加減なことを並べてみましたが、いかがなものでしょうか?
日比野
「歪み」の美。仰るとおりです。私もそう思います。エントリーで完璧を求めると書いたのは、決してシンメトリーの美というわけではなく、キズモノではない、完全な状態を求めるという意味です。
※この次のエントリーで、すこし触れています。
日本の美意識は、自然を尊重する、「あるがままの自然の美」「穢れのない美」と思います。無論これはわびさびにも通じます。
このあたりを実は、明日のエントリーで書こうとしていました(w
日本の美意識とその奥にある穢れの思想。考えるとなかなか面白いです。
ここ数日のエントリーは全部関連していて、うまくまとめられないかなと思っています。そのうち、日比野庵 離れにアップします。
今後ともよろしくお願いいたします。