受動的消費行動と能動的消費行動 (布施の商品 その2)
一般製品や文化、芸術などの創作活動を含む製品の発信者って、企業やアーティスト。新製品の開発・製造には、もの凄くお金がかかる。とても個人で負担なんかできない。だから企業が研究開発したり、スポンサーになってアーティストに依頼したりして新製品を開発する。
企業や金持ち、才能を世に認められたアーティストしか、製品や創作物を世に送り出すことができないのが現実。大衆は彼らから発信される製品を受け取ることしかできない。
漫画家の江川達也氏はマンガは映画と違って、紙と鉛筆があれば誰でも創作活動ができる、といった。確かにそのとおりだけど、世に送り出すとなると、やっぱりお金がないと駄目。企業も商売だから、採算があって、利益がでるものでないとやらない。素人の創作物なんて歯牙にもかけない。
頑張る個人は自費で作ってみたり、売り込んでみたりするんだけど、個人の力では広く世の中に宣伝できないから、全然知られないし流行りもしない。
企業や金持ち、アーティストから製品や創作物が流れてきて、一般大衆が受け取る構造がこれまでの形。受動的消費行動といっていい。
ネットがそんな世界を一変させた。創作活動の世界においてネットのお陰で大衆が誰でも、極めて安価に発信者になれるようになった。製品の評価なんかもクレームとかアンケートとかで製造側に戻すしかなかったものが、ネットで一気に広く流せるようになった。
一部の製作者から大衆へと一方通行だった製品の流れが変わった。誰でも発信者になれて、同時に受け手にもなる。双方向の流れになった。
自分から何かを発信しながら、誰かからの発信を受け取り、相互に影響し合いながら、また新しい何かを作る。これまで趣味のサークルとかでだけ行っていたものが、ネットの世界で起こるようになった。ネットが時間と空間を省略して、個人同士が繋がる糸を網の目のように張り巡らした。個人がいくつもの人格を持って、同時に活動する世界が広がった。
大衆にとって、個人の趣味の範囲であった創作活動物が、広く世の中に発表できるようになった。そのお陰で創作活動が受動的なものから能動的なものに変わった。創作活動において個人も生産者になった。
生産者から大衆へ一方向しか製品が流れない構造の中では、顧客満足は顧客の欲しいものとだけしか理解できなかった。でも創作活動が双方向になっている構造の中では片手落ちになってしまう。
ショーウィンドウにならんだものから一番欲しいものを選ぶという消費行動の設定は、お客を受け手としてしか見ていない証拠。生産者側の論理でどんなに頑張ってみても、欲しがるものを作るという枠から外には出られない。
お客が受け手であると同時に能動的な創作活動の発信者なんだという目で見れば、製品のあり方が変わる。なになにが欲しいから、これこれを買うんじゃなくて、これこれをしたから満足だ。という製品になる。
日経コンピュータで、IT業界で仕事をしていて、一番良いと思うことは何かという調査をやった。最も多かった回答は、「顧客に喜ばれたときに、やりがいを感じる」だったそうだ。
自分から情報発信する能動的創作活動においては、相手に喜んでもらえるというのが満足のひとつになるということ。
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