日本は開国と鎖国を繰り返しながら、他国からとりいれた文明を咀嚼していった。
縁の層構造から説明すれば、日本は、血縁と友人知人の縁を常に遮断したまま、地縁と思想の縁だけ開放と遮断することによって他の文明を取り入れてきた。
開国時には地縁と思想の縁を世界に開いて、最先端の文物を受信して、ある程度受信し終わったら、今度は鎖国して、地縁と思想の縁を遮断した状態で、地縁と思想の縁から取り入れた情報を血縁と知人友人の縁に伝達していくプロセスをとった。
その際に血縁と知人友人の縁を規定・保持している日本的価値観や伝統と整合するように、相性の悪い情報は削除し、時には価値観や伝統を微修正しながら、血縁と知人友人の縁まで伝達していった。
そしてある程度血縁と知人友人の縁まで伝達し終わったころに、また地縁と思想の縁を開いて世界の最先端情報を受信するというプロセスの繰り返しだった。あたかもパケット通信をしてきたようなもの。
その反面、他国との受信に地縁と思想の縁のみ使用して、血縁と友人知人の縁は常に開放してこなかったから、血縁と知人友人の縁レベルで、世界と縁が繋がることはなかった。これは海外との外交交渉においてはマイナスに働いた。人脈や時の政権とのパイプを作れないから。
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