思想の衝突


異なる思想同士は、普通は衝突する。特にそれらが正反対の場合は特に激しく衝突する。だけど、その衝突している内容がどのレベルでの衝突なのかをもっと分析すべき。

たとえば、衝突している思想同士の成分分析を互いに行って、その衝突ポイントが思想が生まれた源流レベルでの衝突なのか、支流のそのまた支流の切れ端同士で小競り合いをしているのかを見る。

衝突している思想の淵源が、同じ源流から発しているものであれば、源流までさかのぼればいい。
そこまでくると、思想が衝突しているのではなく、方法論の違いになる。方法論の違いであれば容易に調整できる。

だけど、衝突している思想の淵源そのものが違っていた場合は厄介。とりあえず源流までさかのぼって、衝突ポイントを単純化して二者択一をするしかない。

分かりやすい例では、民主主義と共産主義のどちらを選びますか?というような問い。

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さらにもうひとつ、まったく新しい前例のない思想が旧来の思想と衝突するときはさらに難しい。さかのぼるべき源流すらないから。

普通は思想が生まれるときは個人からスタートして、それに共感した人が増えていって、一定数以上に支持されたとき初めてその思想が常識として扱われる。

とすると、一定数以上の支持を得られている思想同士がぶつかるときは、悲劇が起こる。ときには戦争にすらなる。

今は西欧文明とイスラム文明が衝突している。

これが個人の、またはごく少数の集団だけにしか新しい思想が広まっていない段階で旧来思想とぶつかったときは、多勢に無勢、新しい思想の方が滅びてしまって、旧来思想が生き残る。

だから、ある思想が別の思想と衝突するときには、どの程度までその思想が拡散しているかを見極めてリスクコントロールすべき。

まったく新しい思想が、周りと完全に衝突してしまうのに、この思想を国全体の考えだ、としてしまうと、思想で感化する前に力の論理が働く。

イエスのように磔にあう危険がある。

こういったリスクコントロールは中国が実にうまい。日本を非難するとき、「一部右翼勢力」とかいって、必ず全部を敵にまわさない。

ネットが発達して、ブログが氾濫して、個々人がいろんな思想を世に問うようになってきた現代こそ、思想の成分分析と淵源を整理しておくことが大切。

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