天と地と


日本は昔から、権威と権力を分離する傾向があった。中世までには、権威としての天皇と権力としての征夷大将軍とを分けていた。権威と権力を分離することで、国柄が安定した。

権威と権力が同じだと時の政府が倒れたときに権威も消滅する。新政府は国を纏めるために前政府を否定し、往々にして悪と断じがち。酷いのになると前権威の一族を皆殺しにしたりさえする。

天皇の権威と将軍の権力を分離したことで、将軍が倒れても天皇の権威は傷つかない二重構造ができた。それによって天皇が国を支えるセーフティネットとなった。そのお陰でいつの時代でも日本は日本として存続することができた。政権が倒れてもただ下々が変わっただけ。日本の国柄は変わらない。

権力は、武力と経済力によって担保されるけれど、権威は歴史や精神性によって担保される。だから、権力は軍が維持できなくなったり、金がなくなったりすると簡単に倒れるけれど、権威は人の心があればいいから、一度権威を立てることさえできれば、権威が節制さえしていれば、後の維持は凄く簡単。

権力の国と権威の国があったなら、どちらも歴史には残るだろうけれど、憧憬されるのは権威の国のほう。高い精神性こそ後世への最大遺物だから。

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日本がこれから政治大国化するのであれば、権威の国を目指すべき。政治的には上杉謙信のように信義を貫く国がいい。何をもって義とするかという問題はあるけれど、信義を貫く国家というイメージは日本人の感性にも合う。

戦えば世界最強であるが、自ら戦いを仕掛けることはしない。やむなく戦うことになっても無闇な殺生はしないし、信義に悖ることは考えもしない。信義のためならば敵に塩を送ることも厭わないし、約束は必ず守る。決して裏切らない。そんな国。

信義の「信」の部分は日本人の得意とするところ。約束を守るなんて日本人にとって当たり前。足りないのは「義」の部分。なにも軍隊を動かすという話じゃない。金の使い方に筋を通せということ。バラマキ型のODAではなく、何のためにどう使われるかまできちんと筋を通す。裏切る相手や感謝しない相手には、即座に援助停止。

こうやって日本が信義の国になれれば、世界から一目置かれる。権威がついてくる。

日本をなんとか利用しようと寄ってくる輩は後を絶たないだろうけれど、信義によって動けばいい。

敵に回すと恐ろしいが、味方にすればこれほど頼もしいものはない国、日本。そんな国を目指すべき。

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