思想の建て増し構造は時代に即応したフレッシュな思想をいつでも使える利点があると述べた。時代の流れが速くなればなるほど力を発揮する考え。
まるで日本神道というWINDOWSに最新の思想ソフトをインストールして起動するようなもの。
開国して、最新ソフトをダウンロードして、鎖国してネット回線を切断してソフトをインストールする。その繰り返し。
宗教思想が根本にある国では、宗教原理に縛られることがある。いきおい革命的な改革の妨げになることもある。
たとえば、ある国が世界と比べて落ちぶれてしまったとした時にとる行動を考えてみる。
ひとつは、自分達の国が落ちぶれたのは、もともとの教えを忘れ、堕落したからだと考える方向。この場合は、本来の教えに戻ろうと原理主義になって、過去に遡る。
もうひとつは、宗教自体を否定してしまう方向。無神論にして、それを軸に国をつくれば、宗教思想に縛られる必要もなくなる。好き勝手できる。だけど、その結果、唯物主義にながれ、地球や他人をも平気で破壊してゆくことにも繋がってしまう。
それに対して、日本はもともと原理に縛られないから、落ちぶれたときには、勉強が足らなかったからだと考えて、他の思想を積極的に学んで、未来へ向かうことができる。
古い宗教が時代に合わせて自己改革ができなかったり、宗教原理の縛りから逃れられなかったりすると、どうしても時代についていけなくなるときがやってくる。いくら憲法解釈で逃げるといっても限度がある。
宗教の教義そのものの中に、「時代に合わせて教えを変えてもいいという教え」を入れておくことは出来ないのだろうか。
そうでもしない限り、宗教自身の耐用年数を超えたときには、原理主義への回帰が起こったり、宗教の否定が起こったりして、思想や価値観の、時代の流れに沿った発展の阻害になったりすると思う。
その意味では、日本の思想の建て増し型、教義が無いが故に形成できた日本神道のWINDOWS構造は非常に優れたもののように思える。
ただし、インストールソフトそのものに重大なバグがないことは大前提。
全てが一なる神から別れ出でたものという考えは、ソフトにバグなんかないという考えになる。
予め説明書を読んで、良し悪しを判断するわけじゃなくて、起動して初めてバグだったかどうかわかる。インストールするソフトの信頼性が大事になる。ここが日本的価値観の建て増し構造の弱点。
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この記事へのコメント
日比野
念のため、最初にお断りしておきますが、私はこのエントリーで罵愚さんとプログラムミスを示すところの「バグ」などと言っているわけではありません(笑)
確かにこのエントリーでは、「思想の建て増し構造は時代に即応したフレッシュな思想をいつでも使える利点がある」としていますね。説明不十分でした。失礼しました。
冒頭の文の引用元である、「日本的価値観の構造その2」では「その時代時代にマッチした、新しい思想や有用な考えを大きな抵抗なく直ぐ取り込めること。」としています。「大きな抵抗なく」です。
原理がないのですから、当たり前なのですが、通常、新しい価値観の適用、それも強制される場合は特にそうですが、大きな抵抗を伴います。宗教改革者が弾圧・迫害にあった例は、枚挙にいとまがありません。
社会、とりわけ個人になるほど価値観における原理はそれほど強固なものだと受け入れるしかありません。原理の出所が神だからです。
ナルト
今回のエントリの内容に類似することを井沢元彦氏も『逆説の日本史』のなかで言われていました。
話し合い至上主義で、話し合いで決まったことがもっとも正しいのだとする考え方で、そこには宗教原理に徹底して従わなくてはならない一神教的頑なさはないと。
思えば、キリスト教の歴史は、ニケーア公会議をはじめ、数多くの会議を経て、教会による定義を絶対として、それ以外を異端として弾圧してきたものです。現在のイスラム教国にしても、自爆テロの精神的支柱となっているのはイスラムの教えです。
日本のすごいところは、時代の流れに敏速に対応しながらも、一定の価値観を保ち、天皇制などは有史以来守り続けているところにあります。
日本の和の精神に基づく合理主義は、現代においてはまだその真価を十分発揮していないと感じます。これからだと思っております。
罵愚