日本的価値観の構造 (日本的価値観の構造 その1)

今日から6回連続エントリーで、日本的価値観の構造について考えてみたい。


日本的価値観とは何かと問いかけてみたとき、「和の精神」であるとか、「武士道精神」であるとかいろいろな答えが返ってくるだろうけれど、これほど人によって同じ言葉にならない価値感覚も珍しい。日本的価値観ってなかなか一言で言い表せられない。

これについて考えてゆくうちに、日本の価値観も伝統的な日本建築と同じ構造を持っているのではないかと気づいた。

武家屋敷などの伝統的な建築物は建物の設計図が存在せず、必要に応じてどんどん建て増ししてゆく構造だという。価値観をひとつの建築物とみた場合、思想も同じく、必要に応じて、別の思想を建て増ししていった構造を持っているのではないだろうか。

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日本的価値観という建物を建てる地面があって、まず古神道思想の部屋を作る。そのとなりに仏教思想の部屋を作り、更にそのとなりに儒教思想の部屋をつくり、さらに時代が下って2階部分にその時代の思想の部屋を建て増ししてといった具合に、思想の上に思想をどんどんのっけていった構造をもつ価値観。

もしも思想の構造を視覚的にみえる人がいたならば、他国の思想は、円錐やら、直方体やらの統一された形状でみえるのに対し、日本のそれはおそらく、ハウルの城のような奇っ怪な、ごちゃごちゃの建て増し構造にみえるだろう。

それぞれ建て増しされた部屋の外観や中身は、和風であったり、中華風であったり、西欧風であったりして、まったく統一されていないが、ともかくもひとつには纏まっている。

外人からみればさぞかし不思議な思想構造に見えるにちがいない。

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イビチャ・オシム日本代表監督はこう語っている。

「日本に感化され、同化したという意味ではない。それでは皆さんもつまらないし、私が監督をするメリットもない。ともに働きながら、日本人の面白さに感じ入った、ということです。何というか・・・日本のアンビバレントなポリバレント性に。民主主義を原則としながら天皇制があるみたいな。みんなを尊重するやり方といいますか」

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この記事へのコメント

  • sadatajp

    建物で喩えるなら、建物によって作られる住空間が日本文化で住人の感性が日本的価値観な気します。
    和風だったり洋風だったりで見た目全然違っても選んだのはそこの主人。そこの主人の好みに合ったものです。まったく違ってても主人の好みに合うという共通点はあるわけで、
    また丸ごとそっくり持ち込むにしても全体とのバランス考えてどこにどう据えるかは考えるわけで、ここにも主人の嗜好が表れる。一見バラバラに見える部屋にも主人の嗜好の表れという共通点があって知らず知らずに統一感が出て、全体がまとまって、他とは違う主人なりの雰囲気をかもし出すようになる。この空気が日本文化。そう思います。
    2015年08月10日 18:19
  • 日比野

    sadatajp様、コメントありがとうございます。

    建物によって作られる住空間が日本文化で住人の感性が日本的価値観、ですか。なるほど。

    私は、主人がその感性によって、その場その場の空気に合わせて、住む住空間・部屋を選んでいくというイメージを持っています。空気を読んで、価値観のウェートを調整して合わせていくということですね。

    価値観を構築する際には、全体とのバランス考えて主人の嗜好に沿った建築構造になるだろうということは、まったくそのとおりで同意いたします。

    すると、日本人総体としての住空間の素材や持ち込んだ部屋(=文化)は大体同じだけれど、個々人でみれば、建物の形状や構造は個人で好きなようにカスタマイズされている、という感じでしょうか。

    空気をあわせるにしても、各人がその場に最適な一番親和性のある住空間そのものは最低限持っていないとあわせることができない訳ですから。
    2015年08月10日 18:19

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