学歴に関係なく、知的好奇心が旺盛な人は一杯いる。世の中には学校で習う範囲や受験範囲をはるかに超える知の世界が広がっている。
若いうちにそちらの魅力にとりつかれると、時間の大半をそちらにつかう。必然、学校の勉強はおろそかになる。ひどければ落第してしまう。でも、興味分野では先生を凌ぐぐらい知識を持っていたりする。
ネットで情報が拾えるようになった現在では、専門知識という範囲だけでいえば、大人を凌駕する子供がいたっておかしくない。
大人にとって、ポケモンの名前が全部いえなくても恥ずかしくはないけれど、携帯やパソコンの使い方を子供に教わるのは少し恥ずかしい。そんなのが知の世界にもやってきた。
日本は明治維新以来、世界に追いつこう追いつこうと努力した。世界についてけばいいだけだったから目標があった。とにかく全体の水準を上げることに邁進した。
平均的にどの分野でもそこそこの人材を作ることで、世界の水準を吸収しては、日本全体の水準を上げていった。特に科学技術分野で顕著。これまではそれでよかった。
日本が先進国になった今、それだけでは苦しくなった。坂の上に登ってしまった。雲はまだみえない。
専門分野の知は日進月歩で更新されるから、ついていくのも大変。一生をささげなくてはいけなくなる場合だってある。
世の中が進歩すると、世の中を支え、発展させるための知性と、世の中を生きるための最低限の知性の間の乖離が激しくなる。現代なんて特にそう。
だから、日本が、世界の中でこれから、どういう社会を目指すのか、どうしていきたいのかでとるべき国家戦略は違ってくる。
進歩なんかやめて、平和維持でいいと思うなら、世の中を生きるための最低限の知識の普及をして、モラル・道徳教育の徹底をすればいいけれど、世の中を支え、発展させることを中軸におくのなら、専門教育の充実や、海外からの研究者の招致。国家的プロジェクトをやらなくちゃならない。
今のようにそこそこのゼネラリストが大量に欲しいのか、たとえ少数でも天才を生むような社会にしたいのか。結局、日本の国家観・世界観の問題になる。
坂の上の雲をみつけて、そこに行きたいと望むなら、教育や社会体制からそのように変えていかなくちゃならない。社会が何を望むかによってモノサシも当然変わる。そのときのモノサシは学歴じゃなくなってるかもしれない。
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この記事へのコメント
美月
日本の教育システムはもっと変化の余地があるのでは無いか…とモヤモヤしていたのが整理されて、すっきりした気持ちです。
今、日本の未来をどうしたいのか…について、まだ今の大人が総括できていないのが現在の混乱(?)の大元なのかも知れない…と考察してみました。
「では、具体的に何をするか」について、美月なりに回答を出したいと思い、何とか回答めいたものが浮かんできたので、無謀にも拙ブログに書き出してみたところです。恐れ入りながらトラックバック送らせて頂きましたので、コメントにてお知らせいたします。(初めてなので、届いたかどうか…)
どうぞよろしくお願いいたします。
mo-no
日比野
全文読んでいただいたとのこと深く感謝いたします。
先日より、哲学・思想ランキングに参加させていただきました。
こちらこそ浅学の身。いろいろとご教授くださいますようお願いいたします。
ナルト
一気に読ませていただきました。
学歴というものがひとつのモノサシであることは今後も変わらないでしょうが、相対的に重要性は低下していると感じます。
「何のために勉強するのか」という動機が立身出世から金のためにシフトしていっていますので、学歴なくても金があればよいとか、出世しても金にならないと意味がないとか、そういう風潮が強いと思います。
どんな国にすべきかを考えるためには、それ相応の知性と情報が必要ですが、前者はともかく後者において、日本はかなり後れているような気がします。ネットがこれだけ普及していても肝心の情報は入ってきていないような気がしてなりません。
もしくは公開情報を適切に分析して正確に現状を掴む能力がないとも言えます。
インテリジェンス能力を磨く方向で教育を再構築すべきだと考えます。そしてそのためには日本国のあるべき姿として、天皇を頂点とした「和の精神」を体現する国家として、そうではない国際社会で"生き残る"ことを主眼とすべきではないでしょうか。