何をモノサシにするか (学歴について考える その2)

もし、今の社会で学歴を否定したとしても、やっぱり会社は優秀な人材が欲しい。学歴が使えないとすると、別のモノサシが必要になる。

運動能力?芸術センス?それともあやとり?

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昔は、生まれの身分がその役目をした。身分が高いほうが相対的に学習環境に恵まれ、他の社会の見聞も広められ、人脈もあるだろうとされていたから。

生まれの身分の代わりに、何がしかの能力や知識をモノサシにもってくると、ある程度の才能は必要かもしれないけれど、努力の要素もあるから、とりあえずスタートラインは同じになる。比較的公平といえば公平。

身分がモノサシだと、競技場から違う。そちらの世界には入れない。勝負すらできない。

今の社会でも、身分によるモノサシが全く無いとは言わないけれど、教育の機会平等ができているから、同じ競技場に入ることはできて、スタートラインに立つことはできる。

金持ちや身分の高い人のスタートラインは少し手前にあったりするかもしれないけれど、とりあえず、同じ競技場で勝負はできる。

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才能にはいろいろあるけれど、もし身体能力がモノサシの世界があったら、やっぱり持って生まれた才能がものを言う。普通の人にはハンデが大きい。

しかも肉体は年齢による衰えが比較的早いから、身体能力のピークを維持できる期間は、ほんの僅かの間。どんな一流アスリートでも40歳を過ぎたら引退を考えるようになる。

その点、頭の衰えは肉体よりずっと遅い、20歳、30歳からスタートして、頑張れば70歳、80歳でも現役でいられる。身体能力にくらべて、ずっと長距離走になるから、最終コーナーでの大逆転もないわけじゃない。その分チャンスが広がっているといえる。

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