学歴の効用 (学歴について考える その1)

今日から4回連続で、「学歴について考えるエントリー」をアップします。



ドラえもんで、勉強のできないのび太が、自分の得意なあやとりが流行る世界を、もしもボックスを使って実現する「あやとり世界」という話がある。

学歴社会とかいうけれど、あやとり世界のように価値を相対化してみると、学歴が決して絶対的なものじゃないことが見えてくる。

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今の社会で優秀な人材を選抜する方法のひとつが、学歴や学力。

会社は優秀な人材が欲しい。会社に利益をもたらしてくれて、即戦力な人材。当たり前の選択。

そんな人材を見つけようとする一番の方法は、専門知識を要求される業務内容バリバリの試験と一定期間、実務をやらせてみればいい。

でもそんなことして、合格するような大学生は普通はいない。大学教育の内容と、実社会で要求される知識と能力が乖離しすぎてるから。

だから会社は、しかたなく新人教育で、一から教えることになる。将来使える人材になることを期待して、なるべくそうなりそうな人材を求める。会社にとってはベストの求人ではなくて、ベターの求人。

できることなら教え甲斐があって、なるべく早く戦力になりそうな人物が欲しいと思うのは当然。

具体的には、仕事の飲み込みの速さや要領の良さ、相手にきちんと説明できる論理的思考能力。あとはつまらない仕事でも淡々とこなせる少しの忍耐力と円滑な人間関係がつくれる性格。情報化が進んでスピードが要求される社会になればなる程、そんな能力が必要。

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長じてくると、管理能力とか別のものが要求されてくるけれど、若いうちでは、それがどれだけあるか判らないし、新人に直ぐに必要な能力じゃない。

これらの能力は、試験や実技をやればある程度、判らないでもないけれど、手間がかかるし、そもそもそんな厳しいところは、求人しても集まらない。よっぽどの人気企業は別として。

となると、手っ取り早いのが学歴になる。数年という一定期間でどれだけ効率良く学習できて、理解できたかという要領と理解力と忍耐力の目安になるから。

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