美の奥にあるもの (都市化と日本人の美意識は両立するか 最終回)
すべての科学技術の基礎になる学問である数学。おそらく理性の最たるもの。
数学の厳密性ときたら他の学問の追随を許さない。こんな小話がある。
天文学者と物理学者と数学者がスコットランドで休暇を過ごしていたときのこと、列車の窓からふと原っぱを眺めると、一頭の黒い羊が目にとまった。
天文学者がこう言った。「これはおもしろい。スコットランドの羊は黒いのだ。」
物理学者がこう応じた。「何をいうか。スコットランドの羊には黒いものがいるということじゃないか。」
数学者は天を仰ぐと、歌うようにこう言った。「スコットランドには少なくとも一つの原っぱが存在し、その原っぱには少なくとも一頭の羊が含まれ、その羊の少なくとも一方の面は黒いということさ。」
数学者によると、数学は美しいという。著書「国家の品格」でも有名な数学者 藤原正彦教授によると、美的感性がないと数学者として大成しないという。
フェルマーの最終定理を証明する途上で、谷村-志村予想が証明されて、全然別の領域であるモジュラーと楕円曲線に架け橋ができたという。
チョモランマとモンブランのてっぺんに、山頂をつなぐ虹が見つかった。これに驚嘆して、美しいと思う心。
あたかも、神の法則を掘り出す試みのよう。自然法則に対して人間が抱く美意識の正体。ある意味、神への信仰に似た感覚かもしれない。
日本人のもつ美の感性、自然の美やあるがままの姿が美しいとする美意識は、神の法則を尊ぶ態度。あるがままの自然に流れている、神の法則をそのまま受け入れる尊敬の念。これも神への信仰に近い感覚だと思う。
つまり、西欧の美は、神の法則を掘り出して、見つけ出して、それを形にしたもの。たとえ今は、神の法則の一部しかわからなくても、研究と探索によって、神の美を発見し、体現していこうとする態度。
日本人の美は、神の法則を形にして掘り出すことはしないけれど、神の法則が自然に流れていることは知っていて、認識もできる。自らの心の虚飾をどんどん削り落としていくことで浮かび上がってくる、自然と命に宿る神の法則を見つめ、尊び、祭り上げる尊崇の念。
どちらも、神への尊敬の念を美意識として表している。アプローチが違うだけ。
日本人の美意識が、自然に流れる神の法則を尊ぶ意識を根底にしている以上、日本人の美意識と両立しうる都市とは、たとえ無機物であっても、存在そのものの中に美が含まれる存在、魂がこもった建物であり、命のきらめきが入っている都市だということになる。
命の輝きを持った建物・都市を創るのであれば、それらがいったいどういうものかを研究する必要があるだろう。それは、昔ながらの重要文化遺産にヒントがある。
都市化と日本人の美意識と両立させるということは、都市に「いのち」をこめるということなのだ。
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この記事へのコメント
江戸屋
あれはあれで斬新とは思いますが、温かみが感じられないので、私は好きません。
が、あれはあれで、合理的であり、なによりも斬新であるということが、欧米でも高く評価されたようですが、今ではどうなのでしょう。
このエントリーは、「いのちをこめる」ということでまとめられましたが、
結局私もそういうことだと思います。
耐久性を考慮した近代的な建造物であったとしても、これからの建物には、いのちを感じられる何かがなくては、我々は高い評価を下しはしないでしょう。
日比野
そういえば、スターウォーズも世界各地の神話をモチーフにしてると何かで読んだ記憶があります。「日本なるもの」のブリリアントカットですか、「深森の帝國」、奥の深い物語になりそうで楽しみです。画像の荒さはさほど気にはなりませんので、別に良いのではないでしょうか?
今後ともよろしくお願いいたします。
美月
美月も小ブログを運営しております。まだまだ駆け出しの(閑古鳥がたくさん鳴いております…笑)創作物語&拙イラスト系で、貴ブログとジャンルが異なりますが、創作の背景となる思索をまとめたり、論理を確立したりするにおいて、貴ブログが参考になりそうなのです。大変恐れ入りますが、美月の拙ブログのリンクに、貴ブログを加えさせていただいてよろしいでしょうか?
:拙ブログ「深森の帝國」
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