都市の美と理性の美 (都市化と日本人の美意識は両立するか その3)


都市の美と理性の美は親和性が高い。合理性という共通点でかたく結ばれているから。

  
住宅や建物が立方体または直方体が多いのは引力のせい。床面はやっぱり平らでないと生活しにくい。壁が曲面や斜めだと、家具は置きにくし、隙間にごみもたまる。養老天命反転地で生活なんかできない。

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だから、都市の美って理性の美に傾きがち。都市には狭い範囲にいろんなものが集まるから、無駄を省いて効率をあげて、合理化しないと成り立たない。合理的でないと都市じゃない。

ドラえもんの道具のように、塗ればそこが下になる重力ペンキなんかがあれば、球形の建物が普通になっていたのかもしれない。表面積が最小で体積が最大になるから材料を節約できる。

少し脱線したけれど、一般の認識での、都市化と美の共存というのは、理性の美を都市の機能とどう共存させるか、ということだと思う。

そのためには、合理性という共通項のある造形美、対象性の美を追求することになるし、実際の都市もそうなっている。

そこで美に対する意識の差が、西欧と日本との間で出てくることになる。

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西欧の造形美は、人々の認識のなかで、「形として美しい」とされているから、壊れることはそのまま美の破壊となる、だから永遠にその形を留めておこうとする。

都市計画でも、全体の形として美しくデザインして、それを永遠に残しておこうとする。住民にも美化に勤める意識がある。

だけど、日本人は形の美しさが美のすべてじゃなくて、存在の中にある命の輝きを含めて美としてるから、全体の形やデザインは完璧でなくてもいい。作為的なのは反って嫌われる。

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