実数と虚数 (思考は言語と言葉によって構成される その6)
数には、対象物の数など直接をあらわす、実数と、概念上の存在である虚数が存在する。虚数は1545年にカルダノが3次方程式を解くさいに発見した、自乗して-1になる数のこと。ありえない数。
虚数を発見したカルダノ自身が虚数解について、次の言葉を残している。
「それによって受ける精神的苦痛は忘れ、ただこれらの量を導入せよ」
でも虚数がなければ、現代科学の発展はありえなかった。量子力学で波動関数というものを考えるとき絶対に虚数で考えないと実験と合わないという。
目に見える事象をあらわした言葉が実数とするなら、目に見えない抽象概念を表す言葉は虚数にあたるといっていい。
数学でも実数より虚数のほうが世界が広いように、目に見える事象の世界より目にみえない抽象の世界が広いのだと思う。思考の数だけ概念が発生するから。
思考が概念の論理演算とするならば、それは殆どが虚数を扱う、目にみえない世界の出来事。
「博士の愛した数式」の映画の中で、博士は紙に書いた線は線分であって、本来の定義の直線ではないと説明した後、こう語りかける。
「・・・真実の直線はどこにあるのか。それは、ここ(心)にしかない。物質にも、自然現象にも、感情にも左右されない永遠の真実は目に見えないのだよ。目に見えない世界が目に見える世界を支えているんだ。肝心なことは心でみなくちゃ。」
虚数は概念上の存在のはずだけれど、先端物理学では「在る」ものとして扱われている。
人間の世界でも、愛や勇気なんかは目で見ることはできないし、触ることもできないけれど「在る」ことを疑う人はいない。
これらの概念は「心」でみるもの。心でしか認識できないもの。虚数も発見されたのであって、作り出されたわけじゃない。
真実の概念は心によって発見されてゆく。
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この記事へのコメント
江戸屋
なるほど・・。
いつもながら、非常にわかりやすい例えで、感銘を受けました。
ナルトさんのコメントと重複するのですが、私も常々思うのです。
この世に唯一絶対というものや真実というものはなく、あるのは個々の認識だけなんだと。
そのことを全人類が認めれば、今より平和な世界が訪れそうなのですが、どうなんでしょうね。
しかし、また、日比野さんやナルトさんや私の見解がこのような形に納まるのは、私たちの思考が日本的な価値観や宗教観(文化、歴史を含む)という共通の大きなまとまりの中にあるからかもしれないなとも思いました。
日比野
>この世に唯一絶対というものや真実というものはなく、あるのは個々の認識だけなんだと。
きっとそうなんでしょうね。もし人間の目の機能が紫外線以降の長波長や、赤外線以降の短波長を認識できるようになっていたとしたら、また超高周波を聞ける耳を持っていたとしたら、そこに展開される世界は、今、人間が認識している世界とはまったく違った世界が見えるのかもしれません。あの世の世界も、もしかしたら単に周波数帯域が違う世界だけなのかもしれませんし、、^^;
だとするとなぜ肉体をもつ人間の認識帯域が今の領域なのか、そこにも意味があるようにも思えてきます。不思議ですね。
ナルト
この現実世界に真実などなく、ただ真実を映す人の心があるだけで、そこに真実の姿が見て取れる・・・と最近思っております。
今回のご主張に大いに共感致します。
人の心に映った真実を、まじりっけなしの真の真実だと認識すると、いろいろ間違いが起こるような気がします。世の中の誤解や混乱、紛争などの根源もそのあたりにあるのではないかと思います。
magzazinn55
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