当日比野庵と相互リンクしていただいている「深森の帝國 」の美月様、深波様から、「思考は言語で構成される」テーマをいただいた(勝手にいただきました^^)ので、考えてみます。
全7回シリーズでエントリーします。
「君の靴のサイズはいくつかね?」
「・・24です。」
「ほぉ、実に潔い数字だ。4の階乗だ。」
2006年に公開されてヒットとなった映画「博士の愛した数式」では、80分しか記憶が持たない数学者の博士が、言葉の代わりに数字を介して会話するシーンがふんだんにおりこまれている。
思考した結果は何某かの思想になって現れるけれど、その思想の構造を分解していけば、様々な概念の連なりになる。要するに、概念は数式化できるということ。その数式の演算結果が思想。
実際の学問に記号論理学というのがある。これは、言葉を代数学と同様に文字や記号の列で表して、その変換について研究する学問。
記号論理学について、ウィキペディアではこう説明されている。
『たとえば「風が吹いた」という観念を文字 A で表し「桶屋が儲かる」という観念を 文字 B で表したとき、「風が吹いたならば桶屋が儲かる(風が吹けば桶屋が儲かる)」という観念を A ⇒ B で表したりする。従ってこの場合、記号 ⇒ は「ならば」という観念を表している。』
だから思考の流れや構成を考えるということは、概念の論理演算式を作ってみたり、概念同士の接続を考えるということになる。
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この記事へのコメント
美月
トラックバック(初めて!)どうもありがとうございます。連休を有効利用しようと、色々バタバタしていて、まる1日気付かずで済みませんでした。
このテーマに対して、数学からの切り口はハッとさせられました。続きを楽しみにしております。