調和の先にある存在 (進歩と調和について考える その3)

調和を単に「他を害さない」とだけで捉えると動物の存在自体が悪になってしまう。
道を歩くだけで蟻や虫を踏み潰してしまうかもしれないし、取って食うなどもってのほか。だから「他を害さない」存在をつきつめると植物や鉱物の存在が一番になる。

だけど、自然は動植物を含めて食物連鎖を構成し、それでいて調和を作っている。だから調和とは、特定の存在だけが突出して他の存在を滅ぼすくらいまで害をなすことがなく、相互に補完しあって、永続できる共生の姿のこと。

真の調和とは固定したものじゃなくて、いかなる環境においても調和をつくりだす力。

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無為自然とはいうけれど、全く何もしないということではなくて、調和を作り出すために自らを変容し、場合によっては相手にも変容を促しながらすべてを受容していく力。それが自然の調和なのだと思う。

その意味では、日本の価値観はこの自然の調和力に一番近い存在。この価値観の最高の姿、調和の先にある存在は、おそらく美の神。

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