進歩の極限 (進歩と調和について考える その2)

人間が自分の認識力を拡大するためには、まず認知できる対象を広げないといけない。考えるための材料をまず認識できないと始まらない。真っ暗闇の、無音の部屋で新しい認識を得ることは難しい。外部からの刺激がないから。心の内面から発する着想もあることはあるけれど、そのためには基礎となる情報を予めインプットしておかなくちゃいけない。

だから、認識力の拡大はまず知的アプローチをとることになる。

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昔から人間は神学や哲学によって、認識力の拡大を求めたけれど、最初はほんの一部の人だけのものだった。

海外にいける人はほんの一握りだったし、異国の事物や考えを知るのは書物に頼るほかなかった。でも科学技術の発達が、その問題のハードルをうんと下げた。

交通手段が発達して、多くの人が簡単に世界中にいけるようになったし、テレビやネットなどの情報伝達手段が進歩したおかげで居ながらにして、世界の動静や遠くの人とのコミュニケーションがとれるようになった。

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科学技術が時間と空間を縮めて、世界中の事象が一般の人にも手の届く存在になった。科学技術の発達は、多くの人に認識の拡大をもたらした。

科学技術によって、空間と時間が縮まるということは相対的に人間が大きくなって、寿命も伸びたということ。神のごとく不老不死の巨人に近づいたことを意味する。。

昔なら決して体験できない外国や歴史を知り、世界を知り、世の仕組みを知ることができるようになった。知の集積である書籍も安価に人々に手にはいるようになって、認識のレベルが格段に上がった。知のアプローチから神に近づいていけるということ。その先にいる神の名は知の神。

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