進歩と調和 (進歩と調和について考える その1)

日本人は無宗教なのか」のコメント欄にて、江戸屋様から、

「我々の世界観は大よそ受動的でありますね。個として独立し、個としての考えを持ち、主体的に果敢に生きることを尊しとする価値観とは、真っ向から反対する価値観。他人の気持ちをうかがい、社会や自然と一体化し、空気や間から自分の役割を静かに察し、その役割を粛々と果たすことを美徳とする。」

のコメントをいただいたのを契機として、この相反する価値観について、全4回シリーズのエントリーで考えてみたい。

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「個として独立し、個としての考えを持ち、主体的に果敢に生きることを尊しとする価値観」とは、自らが自らを変えていくことを意味するから進歩の原動力と言っていい。

それに対して、「他人の気持ちをうかがい、社会や自然と一体化し、空気や間から自分の役割を静かに察し、その役割を粛々と果たすことを美徳とする価値観」になると受動的であり、与えられた環境のなかで調和を作り出してゆく考え。

要は、進歩と調和という概念をどう考え、意味付けしてゆくかという命題。

ここで、進歩とは「新しい発見や発明による自己の認識力の拡大」と定義して、調和を「他を害さない、相互補完をなす力」と定義してみる。

前者は、自身の認識を拡大するために、認知する対象を研究したり、分析したりして、知性的・理性的に物事を探求することを意味する。現代では特に科学技術がそれに大きく貢献している。

後者は、調和をつくりだす自然な生き方になるから、受動的かつ柔軟な対応力と広範な受容性を求められる。

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この記事へのコメント

  • 日比野

    forrestal様、わざわざコメントありがとうございます。
    こちらこそ、勝手にTBして申し訳ありませんでした。
    今後ともよろしくお願いいたします。
    2015年08月10日 18:18
  • forrestal

    TBありがとうございます。返事が遅くなって、申し訳ありません。会社勤めなもので、なかなか、ブログを書く時間もないのが。。。

    どうぞ、今後ともよろしくお願いします
    2015年08月10日 18:18

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