人類にとって地球は狭くなった (閉鎖空間に生きることを考える その3)
欧米発の民主主義経済は、自由と民主の鍬で地球を耕した。そして今にも耕しきろうとしている。
もはや開墾する場所はないかもしれないけれど、耕しきる前に、共生システムの端緒は見つけておかないといけない。
親の総取りでは、結局自らも破滅する。子の面倒をみない限りは。
そこそこの儲けで満足し、余力を残す考えが大事。自分だけよければの考えが結局自分も滅ぼす。人にも自然にも、謙虚な態度が必要。
砂漠の中にガラス張りの巨大な空間を作って、熱帯雨林、海、湿地帯、サバンナなどの環境と世界中から動植物を持ち込んた。そのミニ地球で100年暮らす構想で始めたバイオスフィア計画はたった2年で失敗した。
土壌中の微生物の働きが不十分だっただけで、すべてが連鎖して酸素も食料も不足した。
自然の力を甘くみた結果。人間理性で全てを理解できるまでには、まだまだ時間が必要。いつか全てを理解できる日がくるとしても、それまでは、保険として手付かずの間を取っておくべきだと思う。
ガンダムの世界だと人類は簡単にスペースコロニーで生活してるけれど、本当にそうなるのは多分ずっと先。
それどころか、今は人類が増えて、環境破壊が進んで、地球自身がバイオスフィアみたいな閉鎖空間になりつつあるのではないかとも思える。
閉鎖空間で生きるという自覚をもって、その準備をすべきではないか。
島国で、ほぼ自給自足できていた時代を持つ日本は、ある意味閉鎖空間で生きてきたといえるのかもしれない。
昨今、エコロジーブームで、江戸時代の見直しの声もあるけれど、当時の日本人口は3000万人くらいで、人口増加もほとんどなかった。
先進国では人口減少傾向だけど、地球規模では爆発的に増加を続けてる。今のほうがずっと状況は厳しい。
最低の労力で、最高のリターンを得られる社会構造にもう少しシフトする。効率を上げる。無駄にしない。もったいないの心が大事。
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この記事へのコメント
ysbee
いつもこちらへ伺うたびに、心の窓を開けるといいますか、
一種独特の清々しい冷気に打たれる感があります。
毎回考えさせられるテーマですが、実は「地球環境保護」は雲の上の政治家の課題ではなく
私たちの日常行動の総決算なのですよね。
「もったいないの心」
これは私のように、戦後まもなく生まれた人間には、性癖として残っております。
こういった「当たり前の倫理」で、いつも警鐘を鳴らしてくださることに、感謝しております。
なにやら焦点の定まらない拙いコメントですが、気持ちを汲み取っていただけますよう。
日比野
日比野庵へコメントいただくのは初めてでしょうか。
駄文におつきあいくださいありがとうございます。
日々のおもいつきながら、ysbee様の一服の清涼剤になれば幸いです。
これからもよろしくお願いいたします。