文化的受容度の高い国家における、価値観の構造差について。
ローマをはじめとする各帝国の成立時にみられるように、他国の価値観を受容して纏めようとしたのは事実。
国政統治、特に帝国の統治の基本原理としても、そうやって国家維持を考えるのは合理的な判断。
しかし、征服した民族の価値観を認め、ローマ化をすすめていったローマですら、価値原理の衝突は起こっていた。ローマの民の中には経典の民、ユダヤ教徒がいたから。
一例として、ユダヤ教徒は税金を彼らの神殿に収めるべきか、政府に納めるべきかをイエスに問うた。
イエスは答える、「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に」
今では政教分離の話でよく用いられる話だけど、教義を聖と俗をで分けることで対立を回避した。
価値観の構造は社会の構造である俗の部分だけでなく、個人的価値観を含んだ、聖と俗をあわせた構造。
他国、特にキリスト教圏の(社会的)価値観では、個人の中の原理と社会の原理をわけることで、政教分離して、価値観の折り合いをつけて、「俗」の部分をフリーハンドにした。
価値観の構造でいえば、個々人がもつそれぞれの「聖」の部分の価値観の建物を社会的「俗」の部分の価値観の塀でぐるりと囲んだような構造になっているようなもの、個々の「聖」の建物はくっついているわけじゃない。
今でいえば、アメリカなんかが其れに近い。価値観は建て増しじゃなくて、住み分け。
国政統治の原理としては、アメリカと日本もどちらも民主主義を奉じ、信教の自由を保障しているけれど、価値観の建物でみれば構造は異なる。日本のように個人がキリスト教徒でもあり、仏教徒でもあり、神道も奉じているなんてことは、一神教の世界ではありえない。原理同士がぶつかる。
となると、回避策としては、原理を適用するエリアをそれぞれに分けるしかなくなる。住み分け構造になる。
だから、いつまでたってもモザイク国家的価値観どまりで、日本のようなハウルの城にはなれない。「俗」の壁が崩れれば、「聖」の建物同士が繋がっていないことが表にでる。
どんなに文化的受容がある国家でも思想や文化が入ってきた時点では、自分の土地に別個の価値観の建物が建つ。それを、別のものとして扱って塀で囲むのか、破壊して排除するのか、またはハウルの城のように建て増しして繋げてゆくのかという違い。
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ナルト
日本の古代史に関して、貴君の主張されていることと極めて類似した日本古代史における真実を提唱されておられる方がいらっしゃいます。
IZAブロガーの三島明先生です。「八百万の神々」を「高天原の邪馬台国政権」とし、天皇家の大和朝廷をそこから派生したものとして見られています。
日本の「和の精神」は、もともと高天原政権の施策によって普及していき、もともとは北四国の宇摩地方にあったとされる、「邪馬台国宇摩説」の提唱者です。
防人としての天皇家という貴君の位置づけとも通じるところがあり、別個のアプローチから類似の結論に達するというのは非常に興味深いです。
「日本風にアレンジする力」は、何も形式とか見た目だけでなく、その意味を「変容」させるところにも働いており、そちらのほうが主だと思います。
その変容の源にカルシファーがおり、天皇家がそれを守っているという考え方に、大いに共感します。
日比野
三島明先生の「邪馬台国宇摩説」とはそういう説だったのですね。ちょくちょく三島先生のブログにお邪魔させていただいていましたが、なかなか全体像が把握できずにおりましたので、とても助かります。歩みは遅いですが、すこしでも付いていければと思います。
日本の、アレンジの力、これは本当にすごいものだと私も思います。
これからもよろしくお願いいたします。