カルシファーと天皇の関係についての補追。
カルシファー=天皇ではないと思う。どちらかといえば、カルシファーは八百万の神々。その神々を奉り、いつも日本に居ていただくように、薪をくべ、火を絶やさぬようにする防人が天皇にあたると思う。
日本人は八百万の神々を直接見ることはできないけれど、天皇が存在し、毎年宮中祭司を行う姿をみることで、間接的にカルシファーが燃え続けていることを確認する。
それがまた、八百万の神々が常に私たち日本人と共にあると感じ、安心する。天皇を媒介として神と人とが繋がっている。この感覚は特筆すべきもの。
天皇制を廃止しようとかいう声もあるけれど、もしそうしたら、おそらく日本は唯物論に傾いてゆくと思う。カルシファーの防人がいなくなるから、必然的に神と人との繋がりが消えてゆく。八百万の神々が傍にいるとはだんだん感じられなくなって、享楽的・刹那的になってゆく。そうして唯物主義に堕する。日本人の美徳も消えることになる。
だから、万が一天皇制を廃止する場合は、その代わりになる、別のカルシファーの防人が必要になる。だけどその防人には、格式も礼式も資格も必要で、季節ごとの薪の種類の選び方や一度にくべる薪の本数をどうすべきかとか、火の勢いを調整したり、灰を適切に処置したりなど、一切のことができなくちゃいけない。
そのノウハウを持っているのが唯一天皇家であろう現状を考えると、天皇制の廃止は考えられない。
同じく、女系天皇を容認するかについても、その対象者が、カルシファーの防人に必要な技能と資格を持っているかによることになるけれど、多分いないだろう。
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この記事へのコメント
日比野
皇室制度が無くなるなんてことになれば、神社は段々寂れていくような気がしますね。寂れていって、見向きされなくなってしまうのは寂しいです。
きょーちゃん
たくさんある神社も全部無くなるのでしょうか。
神社は日本人の暮らしに根付いています。
子供もお祭りが大好きです。
元は皇室なんだよという話を広めみんなが知れば
もっと日本人が皇室に関心をもち大切に思う気がします。
美月
カルシファーと天皇の関係は、とても感ずるところがありました。天皇についての国際的に最も適切な説明は、「祭祀王」と言う事になってますね。
もしかしたら命(八百万の神々)のエネルギーと言うのも二面性があって、命の暴走の行き着く果てが、極端な科学至上主義~唯物主義かなと思いました。
(たとえば、命の火に確信を持てなくなるが故の、個人個人の不老長命への欲望の深刻化:医学の進歩・臓器移植など。これは戦争ではありませんが、命の奪い合いのひとつの現われとして理解できるかも…)
天皇制度…、本当に難問です。美月も色々考えてみたいと思います。続きも楽しみにしております。