福田総理就任からはや1ヶ月過ぎた。給油法でいきなり難しい国会運営を迫られている福田新総理だけど、今回は福田総理考というテーマを考えてみたい。全4回シリーズでエントリーする。
1995年から、その年をイメージする漢字一字の公募を全国より行い、最も応募数の多かった漢字一字を、その年の世相を表す漢字として、京都・清水寺にて発表する「今年の漢字」という行事がある。
昨年は「命」、一昨年は「愛」が選出された。
ふと、総理の行動基準や行動原理も一言で表すとどうなるのだろうかと思い、小泉・安倍・福田総理について、つらつら考えてみたところ、こんな「総理の一字」が浮かんできた。
小泉元総理は「信」。
言ったことはやる。とにかくやる。郵政解散の例などをあげるまでもなく、言ったことを実現するためには手段を選ばないところはあったけれど、小泉総理の出現で、政治家の指導力というものが、いかほどのものなのか広く世間に知られるようになったことは間違いない。
小泉元総理自身も座右の銘として、「無信不立(信無くば立たず)」を上げている。
安倍前総理は「国」。
日本を愛し、日本の「国」としての形、フレームを作ろうとした。重要法案を次々と成立させた手腕はもっと評価されていい。戦後の総理として、ここまで重要法案・改革法案を行いえた総理はいなかったのではないか。
安倍前総理の座右の銘は、「初心忘るべからず。」「至誠にして動かざるもの、いまだこれ有らざるなり 」
そして、福田総理の一字はといえば、「安」ではないかと思う。
これは、安心の「安」であるし、民を安んずるの「安」でもあるし、安全を守るの「安」でもある。
福田総理は所信表明演説で
「成熟した先進国となった我が国においては、生産第一という思考から、国民の安全・安心が重視されなければならないという時代になったと認識すべきです。」
と述べているけれど、これは「安」をキーワードに、広く意見を聞いて国政を治めていくという思考ではないかと思える。
小泉元総理や安倍前総理のように理念先行型だと、それについてこれる人は兎も角、ついていけない人はほったらかしになりがち。広く国民全体へ安心を与えるという意味ではすこし落ちる。
人は、特に日本人はそうだと思うけれど、自分の意見が採用されるされないに関わらず、自分の意見を「聞いてくれた」、という事実に満足して安心してしまう。それだけ他人を信頼しがちな国民性を持っている。
拉致被害者との面談で福田総理が「政府は一体。みなさんとも一体になりたい。私を毛嫌いしないようにお願いします」と発言したといわれているけれど、 自分の評判を知った上で、なおかつ総理としての立場をわきまえた発言といえる。
そんな福田首相の座右の銘は「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張」
これは、やせ我慢の説をとなえた福沢諭吉に対して、勝海舟が返答したもの。
福田総理がこれを座右の銘にするということは、逆に、自分が他人から十分に理解されていない、または理解されにくいということを、自分で自覚していることを意味してる。その上で自分の行動は自分で決める、と。自分に相当自信がないとこんなことはいえない。
「藪の梅 ひとり気ままに 香りけり」
実はこれも勝海舟が詠んだ句。意外と福田総理はこの句を地でいくのかもしれない。
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この記事へのコメント
日比野
国民のためではなく、自分のための「安」ですか。行動原理ですから、当然それもありですね。あまり考えてませんでした。迂闊でした。「安」を自分のためだけに使われてしまうと、無為無策になりますよね。でもそれですと、本人にとっては「安」でも日本にとっては「安」ではないでしょうから、後世の謗りは免れませんね。言ったことはやって欲しいです。
マルコおいちゃん
政治は結局のところ結果で評価を決めるしかありません。テロ特措法と拉致は解決される、と現総理は見栄を切ったわけですから是非その結果を出していただきたいと思います。しかし、この一月間のような対民主党クリンチ戦法では、結局解決を見出せず総選挙に追い込まれ惨敗するしかないのでは、と思われます。
それより無為無策のまま、早く次へバトンタッチされたほうが、本人と自民党のためには「安」ではあると思われます。