思索力は記憶力と認識力の和 (ブログの記事と知性について その6)

本を読んでその内容を憶えるとき、細部まで、時には一字一句まで記憶してしまう人もいれば、前提と結論だけ憶えてして後は忘れてしまう人とか、中には本の題名すら忘れてしまう人もいるかもしれないけれど、要は読書って、概念をデータにして頭に蓄積していく試み。

思索するには記憶力と認識力が必要。「概念の論理演算」のエントリーで触れたように、思考って互いの概念同士を論理で結んでいって思考の論理演算回路を作ること。

思考のプロセスは、普通、頭の中で回路の結線をしてゆくのだけれど、そこで使われる概念ブロックは、当然その人の頭の中にある、記憶されている知識しか使えない。だから記憶力の高い人、知識が沢山ある人は使用可能な概念の論理ブロックが沢山あることになるから、色々な回路を組みやすい。思考に幅がでる。

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もちろん無限に記憶できる人なんて存在しないから、人は様々な外部記憶装置を使ったり、思考の補完ツールを使ったりして記憶力や思索力を補ったりする。

日々の着想を逃さずメモしたり、ポストイットに書いたりして、忘れないようにするのなんかはその典型。

確かにネットもそうだけど、本は外部記憶装置の役目を果たす。だけど、肝心な時に適切な概念を呼び出せないと意味がない。

Googleなんかの検索ツールを使って、ネットという外部記憶装置から情報を引っ張りだそうとしても、検索キーワードが適切じゃないと目的の情報は引っ張りだせないから、最低でもキーワードくらいは記憶していないといけない。

だけど、そんな思索に使うような情報を検索するキーワードって重要な単語であったり概念そのものを指したりするものだから、やっぱりある程度は概念を記憶できていないといけなくなる。

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次に、それぞれの概念同士を結線してゆく力は認識力とも強く相関してる。認識力とは、互いの概念同士がいかなる関係で結びついているか、前段の概念からこういう論理を出力したら、次段の概念にどういう結果をもたらすか、そういう相互の関係を見抜いていく力。これが弱いと概念同士を結線していけない。

概念の結線作業の方法はといえば、頭の中でどんどん結線していける人は別として、有名なKJ法なんかを使って概念をカードに書いてみて、あれこれ組み合わせたり、ひっくり返したりして、目にみえる形で結線するのがある。

また、自分の頭じゃなくて他人の頭を借りてくるという方法もある。他の人とあるテーマについて話し合ったり、ブレーンストーミングみたいにどんどん意見を出したりして、自分では思いつかないような角度からの意見を聞いてみたり。言ってみれば、外部の認識力を借りてきて使う方法。

このあたりの知的生産の技術については山ほど本が出てるから、皆それなりに苦労しているということ。

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この記事へのコメント

  • セフレ 埼玉

    参考になります!ありがとうございます!
    2015年08月10日 18:18

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