本質を見抜く力 (ブログの記事と知性について その3)

スーパーのレジで、バーコードで商品の値段を自動読み取りするとき、何故そんなことができるかというと、あらかじめバーコードのこの模様がこの値段だというデータがレジのシステムに入っているから。

りんごとappleは同じものを指すけれど、文字記号データとしては異なるもの。日本語と英語という、それぞれの言語に対応するデータベースが必要になる。

「apple=りんご」というデータベースを持っていないと、折角入力した情報は「読み取れ」ない。

だから事象を認知できるためには知識というデータベースがないといけない。

画像


バーコードリーダーを直訳すれば、「バーコード自動読み取り機」くらいになるんだろうけれど、意味としてはそのとおりで、ただ読み取っているだけ。べつに読み取ったものを、認識しているわけじゃない。

認識であれば、対象に対して値段が高い安いとかなどの判断や意味づけが入る。りんごについたバーコードを読み取ったら、

「お客さん、入荷日と仕入先、それに他店と比較すると、これは30円高いです。」

なんて音声回答するレジがあったら、店からたたき出される。

認識力とは、見たり聞いたりした状況や人の言動に対する認識のクオリティのこと。認知した対象に、なんらかの意味付けや評価をする力。

同じ事実を見ても、人によって認識は様々に違う。有名な話だけど「アフリカの靴話」というのがある。


#NAME?

一人のセールスマンのAさんは意気消沈して本社に戻って来て、こう部長に報告しました。「あそこには靴のマーケットはありません。なぜならみんな裸足なのです」。

さて、もう一人のセールスマンのBさんはいつまでたっても帰ってきません。心配になった部長が国際電話をかけると、Bさんは、意気揚々と言ったのです。「部長、ここのマーケットは無尽蔵です。なぜならみんな裸足なのです!」と。--

画像


この「アフリカの靴話」例では、「誰も靴を履いていない」という「事実」に対して、Aさんの認識は「だから靴のマーケットはない」。Bさんの認識は「だから靴のマーケットは無尽蔵」。全く同じ事実に対して、正反対の認識をしている。

事象に対して評価を与える認識力。これは事象をどうみるかという見識とも言える。

加えてブログ記事を書くときには、対象を認知して、認識して判断し、それを他者に分かるように記事にしないといけない。

このシリーズエントリーの最初でも触れたけれど、特に系統だっていない個別事象とそれに対する認識を、順序立てて論を組み立てていく力は論理的思考能力、いいかえれば思索力に関わる。

だからブログ記事とは、筆者の知識の範囲内で捉えられる対象に対して、筆者の認識力によってその対象の問題と原因を見抜き、筆者の思索力によってそれらを表現したものと定義することもできる。

 人気blogランキングへ

この記事へのコメント


この記事へのトラックバック