戒と律 (民主国家とノブレス・オブリージュは両立するか その6)
仏教用語で戒律というのがある。
あれもこれも何かかもしてはいけないとか、なにか堅苦しいものを連想するのだけれど、戒と律とでは意味が違う。
「戒」は自分でこれを守ろう、と自分で決めるルール。個人的なもの。
「律」は法律的ニュアンス。破れば罰が与えられる決まり事。
つまり、「戒」は自ら自分の心を正してゆくもので、「律」は社会生活を秩序あるものとするための規範。ルール。
戒は個々人の心を律し、律は社会秩序を守る。
ノブレス・オブリージュの核心は、自発的な無私の行動を促す明文化されない社会の心理。法的な義務ではないけれど、これを為さなかった事による、社会的な批判を受けることもある。
要するにノブレス・オブリージュって律ではなく、戒のことを指している。
日本は、この戒にあたる目に見えない道徳規律が伝統のうちに色濃くあって、律に頼ることなく社会の秩序を守っていった。
クローデルが日本人は高貴だ、といったのも日本人の心の中の戒をみてとったからだろう。
律によってかろうじて秩序が保たれる社会と、戒によって心のレベルから秩序を成す社会の差は果てしなく大きい。
世界の殆どは律に頼って、時には暴力装置でもって、秩序を保っているけれど、日本は戒が伝統として生活道徳として流れていたから、そもそも律の出番が少なかった。これも天国の一条件なのかもしれない。
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