フリーターとニートとひきこもり (民主国家とノブレス・オブリージュは両立するか その5)

Not in Education, Employment or Training。日本語訳は「教育を受けず、労働をおこなわず、職業訓練もしていない人」。通称ニート。

日本のニート人口は2005年時点で約87万人と言われている。

フリーターはニートと混同されこともあるけれど、本来はフリーターはなんらかの仕事をしているのに対し、ニートは仕事をしていないという違いがある。働く意欲のあるなしで区分することもある。

世間では、フリーターもあまりいい印象で使われることは少ないけれど、ニートや引きこもりは、さらによくないとされている。生産活動になんら従事していないからだろうか、問題視され、社会のお荷物的な扱いになってる。

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社会的に不安定な存在という意味では、フリーターも、先に紹介したボヘミアンとあまり変わるところはないし、ニートや引きこもりと、たとえば、千日回峰の行者や比叡山の修行僧とでは、通常の生産活動に従事していない、役に立たない、という意味ではそんなに違いはない。

彼らは、山に籠って、山々を走り回ったり、外界と隔絶された僧房で黙々と修行している。ひきこもりというなら、これこそ純粋なひきこもり。

だけど行者や叡山の修行僧をニートとかひきこもりとか言う人はいない。

つまり、なにか高尚なもの、高次なものに仕えているという生活ゆえに是とされているのだと思う。

何かに仕えるということ自体が、たとえ、なにも生産していなくても、なにかの役に立っていると思われている。実際そうなのかもしれない。

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人間は、一日のうちで精神を自由にする時間をもつべきだと思うけれど、これは国や社会のレベルでもそうなのかもしれない。

現代は社会が忙しくなって、共働きも普通になって、社会全体がせかせかしてる。

少々乱暴な意見かもしれないけれど、昔は主婦が家を守り、一日中家族のことを気にかけ、考え続けてくれる存在としていてくれたからこそ、家族の精神的安定を受け持っていた面もあったのではないかと思う。それがなくなってきたから、その代わりとして、ニートやひきこもりがあらわれてきたのではないかとさえ。

ニートとかひきこもりとかいうけれど、大事なのはその中身。修行僧のように目に見える形で、修行してございじゃないから分かりにくいだけ。

自由になる時間でもって精神の自由を確保して、時にはストイックに低次なものを捨ててでも、高次なものを求める精神的態度があるかどうかか肝心なこと。

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この記事へのコメント

  • 生きていくのがいや

    もう生きていくのが嫌です。
    仕事も100件受けたけど採用ならないし。
    2015年08月10日 18:18

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