より善く生きる (民主国家とノブレス・オブリージュは両立するか その4)

「大切にしなければならないのは、ただ生きるということではなくて、善く生きるということなのだ。」

ソクラテスが獄中で親友のクリトンに語った有名な言葉。

精神と肉体の鬩ぎあいの中で、肉体煩悩を克服しそれをコントロールする。それは、まさに自分こそが心の主になっている姿。欲望に心を支配されていない自分がある。

自分の精神が心の主になれないと、自在に変化して善く生きることはできない。

善く生きようとする姿は、神に向かう姿勢。高貴さにも近づく道。

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有り余る富があったとしても、贅沢な時間の中を過ごしたとしても、たとえ貧しさの中にあったとしても、結局のところ、より善く生きる時間がどれくらい人生の中にあるかで、その人の高貴さが形作られる。

より善く生きるということは、精神が悪から遠ざかっているということ。

そのためには、悪を捨てて善を選ぶ心。より高次なものを選び取る精神態度がなくちゃいけない。

だから、そういう人は傍目にはストイックな生き方をしているように見えることもある。

ストイックな生き方は、精神の自由を確保したりもするけれど、また同時により善く生きる方法のひとつ。

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この記事へのコメント

  • ナルト

    日比野さん、こんにちは。TBありがとうございました。
    エントリを読んでいて、最近友人が書いた「箴言」(アフォリズム)を思い出しました。

    世間に棲んではいけない 世間には外から通えばよいのだ

    より善く生きるには孤独に耐えられないとダメですね。しかも耐えるというより、ただ自然に独り在る、ということになりましょうか。

    世間にまみれると我を忘れてしまうことになり、そういうときの己を思い出すと恥ずかしいやら、不愉快になるやら。
    2015年08月10日 18:18

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