「慈悲というものは、強制されるべき性質のものではない。慈悲が空から注いで、この大地を潤すように、まさにそうであるべきなのだ。
・・・慈悲とはこの権力による支配以上のものであり、王たるものの心の王座に宿るものなのだ。」
シェークスピアの「ヴェニスの商人」の中の有名な一節。
心を潤し、従わしめる存在は、慈悲のごとく、空から注いで、この大地を潤すように、下位レイヤーに浸透してゆくもの。日本のユビキタス化もこうあるべき。
日本が世界中にユビキタスしていって、日本の文化や精神が世界各国に土着していったとき、日本を敵にまわすことは世界中を敵にまわすという構図が成立する。
疑心暗鬼の各国は警戒するかもしれない。この強力なソフトパワーで世界を支配するのではないか、と。
だから、なおのこと日本は、強力なソフトパワーを発揮しつつも、覇権を求めない態度と信用を創っていかなくちゃいけない。
地獄の住人は天国を知らず、天国は天国の心を持った人たちが作るもの。
空から降り注ぐほどの慈悲を発揮するためには、ダムに満々と水をたたえていないといけない。技術も経済力も心根も。
日本人の多くが世界中を天照す気持ちを持って生きようとするとき、日本のユビキタス化が始まる。
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日比野
今現在、地球上で調和という美の神に向う価値観体系を有しつつ、進歩という知の神を奉ずるところの自由主義先進国でもある国は日本くらいではないかと思います。
これから、知と美の統合が文明の流れとするならば、日本はなくてはならないモデルケースのはずです。日本の精神を保持し、世界へ発信してゆくべきではないかと思います。
ナルト
感動しました。まさにその通りです。
日本に生まれたことに感謝しつつ、その責任の重さも同時に感じました。
かつてアインシュタインが言ったように、世界にこのような尊い国がひとつはあるべきで、日本人として生まれた我々は、その幸福に感謝するだけでなく、困難ではあるが一歩一歩、わが身を削りながらでも、日本国に伝統的に存在していた精神を慈悲のごとく世界に降り注いでいくべきなのだと思います。
日比野さんが今回主張されていることは、決して日本人が増長してよい内容ではなく、逆に、伝統的な日本の和の精神が失われつつ現代日本、そして日本人に内省を求めるものであると感じました。