縁起のレイヤー (日比野庵 本館 7/13~7/20 部分修正)

過去エントリーの再掲シリーズもひとまず今日で終わりです。
明日から新シリーズをエントリーの予定です。

画像


1.縁起の織物

場理論というのが注目されている。レヴィンによって提唱された、ある対象を「物体」というよりはむしろ「場所」として捉えることを前提とする理論のこと。集団で考えれば、「部分としての個人の変化が、全体としての集団に及ぶと同時に、集団の変化が個人に及ぶ」という力動的な考えを指す。

これって、仏教で説く縁起の理法そのもの。原因結果の法則。個人の変化を原因として、縁で繋がる集団に結果をもたらす。場の理論は主に空間的に説明されているけれど、仏教の説く縁起の理法は空間的だけでなく、時間的にも働くとされている。
 
つまり、同時代に生きる友人関係や社会との関わりといった、空間的に繋がる縁と、親子関係や祖先といった、時間的に繋がる縁があるということ。

空間的に繋がる縁を横糸に、時間的に繋がる縁を縦糸と見立てた場合、人はちょうど縦糸と横糸の交わる交点にいる。

横糸は空間的に繋がる縁だから、主に集団やその場を支配する法律であるとか、国家体制や思想を伝播する。それに対して縦糸は、時間的に繋がる縁だから、主に世代間で受け継がれていくもの、伝統や民族文化や言語を伝播する。

縁起の理法からみれば、こうした人の縁の糸で編まれた織物があって、それが世界を作ってる。横糸の長さは世界の広さだし、縦糸の長さは世界の歴史を示してる。

画像



2.縁起の多層構造

国や世界を形づくっている縁起の織物は一枚だけじゃない。人は社会の中で色々な顔、役割を併せ持ちながら生きているから。縁は、人それぞれの役割ごとに発生していて、他の存在と縁の糸で繋がってる。

人は自分の子に対しては親であるけれど、自分の親から見れば、子でもある。また、同時に夫や妻でもあったり、地域社会の一員でもあるし、職場にいけば会社組織の構成員でもある。もちろん国民でもある。

縁はその個人の役割ごとに、個別に繋がるから、それぞれの役割別に縁起の織物をつむぐと、その織物は何枚もの縁起の織物を重ねた多層構造をもつことになる。

縁を表すのに、血縁・地縁・人縁という言葉がある。これらの言葉が示すように、縁にも種類がある。

血縁といえば家族や親類縁者の縁だし、地縁といえば、隣近所や職場での縁になる。人縁は友人知人の縁となるし、時には国家や民族、宗教・思想で繋がる縁までも含むことがある。

縁の層を個人的な縁から社会的な縁の順に下から並べてみると、血縁-地縁-人縁という順に社会的に広がる縁の層が出来上がる。

このうち人縁は個人的な友人知人関係から国家・民族思想まで幅広く存在するので、個人的な友人関係の縁と国家や思想レベルでの縁にわけて整理すると、血縁-友人知人の縁-地縁-国家・思想の縁の順になる。

こうした多層構造を持つ縁起の織物を上述したように縁の種類によって、おおきく4つに大別して考えてみる。

一番下層に位置し、かつ最も個人性の高い縁は、血縁関係による縁。これを仮に「家族レイヤー」と名づける。

その上にあるのが、隣近所・友人知人の縁の層。これを「知人レイヤー」と名づける。

その上に、仕事や社会、利害関係で知り合う縁の層がある。これを「経済レイヤー」と名づける。

最上位に、国民・国家、政治体制や思想、宗教や民族意識でつながる縁の層がある。これを「思想レイヤー」と名づける。

場の理論を縁起と捉え、縁の繋がりを、縁の種類別に分けた多層構造の世界では、国家と呼ばれる場は単に最上位レイヤーである思想レイヤーから見た区分にしか過ぎなくなる。

画像


3.各縁起レイヤーの接続頻度

だれかと縁ができて交流が始まると、それぞれの縁起レイヤーで、場の理論に従って、縁で繋がった相手同士で情報交換、電子的にいえば、相互通信が行われ、それぞれ影響を受ける。

影響の度合いには、もちろん個人差はあるけれど、通信される情報量が多ければ多いほど影響を受けやすいから、常に縁が接続されている状態のレイヤーの影響が最も大きくなる。

PCでいう常時接続のほうが各種情報へのアクセスが良いのと同じ。常時接続していると微妙な変化でも直ぐに伝わる。

家族レイヤーでは、家族で過ごす時間が必然的に多いので、ほとんど常時接続に近い状態で互いの影響をうけあう。そこで通信される情報は主に、家族、親族の伝統やしきたりで、外部から入ってくる情報の影響は相対的に小さい。

知人レイヤーでは、家族レイヤーほどではないが、地域の奉仕活動や町内会などで頻繁に出会う機会がある。知人友人に関しても親密度、いわゆる縁の濃い関係になればなるほど、定期的に接続されやすい傾向がある。

この知人レイヤー、特に隣近所で繋がる縁で通信されるのは地域のしきたりが主であり、各家庭の伝統とは必ずも一致しない場合もあるけれど、その地域共同体で通用している伝統や習俗が伝達されるケースが大部分を占める。

また、この知人レイヤーで繋がるもう一方の縁、友人知人関係で繋がる縁でも、縁の濃い相手ほど互いの接続回数が多くなるから、互いに影響を与え合う余地が大きくなる。そんな縁の濃い相手は通常「気の合う仲間」になる場合が殆どだから、考え方も似たようなものが多くなる。その結果、この縁の繋がりでは、本人の思想を大きく変えるほどの影響は持ちにくい。

経済レイヤーでは、職場や各種団体といった、営利組織上での縁になる。職を持っている人は、平日の一定時間は勤務しているので、その間中は、接続されることになる。

そこで通信されるのは、職種によって様々だけど、社風や営業・対外交渉などで、利害関係にもとづいた情報が主となる。また、学校等の教育機関では、特殊技能や特殊情報が通信されている。

最上位の思想レイヤーでは、国の政治形態や、宗教といった思想を通信する。現在の世界では、民主政体、共産生体、仏教、キリスト教、イスラム教といった、各種思想が通信されている。

この思想レイヤーでの主な通信媒体はメディアや書籍、各種特定団体からの働きかけが主なものになるから、必ずしも定期的に接続されている訳じゃなくて、どちらかといえば、個人がアクセスしたいと思って初めて縁が接続される不安定なレイヤーといえる。

こうしてみると、家族レイヤーと知人レイヤーの2つをいわゆる下位レイヤーと位置づけすれば、このレイヤーの接続状態は、常時接続かそれに近い状態になってる。そこで通信される情報は、縁の濃い関係同士の接続が主流で、必然的に保守的なものになりがち。

それに対して、経済レイヤーと思想レイヤーのいわゆる上位レイヤーで通信される情報は、必ずしも個人の思想信条に合致したものばかり通信されるとは限らない。実に様々な考えが通信される。それは個人ブログひとつみても良く分かる。

だから、ある考えが、個人の考えと会わないからと思想の衝突を起こす場合は、おもにこれら上位レイヤーで発生していることが多い。

画像


4.縁起の通信限界距離

あんなに親しかった友人でも、遠くに引っ越したり、職場が変わったりして疎遠になることって良くある。俗に言う縁が切れるというやつ。

縁起レイヤーで伝わる情報には、各レイヤー毎に、それぞれ通信できる限界距離が存在する。

下位レイヤーほど、個人的側面が強く、通信限界距離は短い。家族レイヤーで考えると、2,3世代の範囲では、家族や親類縁者を含めると、何十人にはなるかもしれないけれど、何千人にはなりえない。家族レイヤーでは、親類縁者を超えてまで縁は繋がらない。

一般に家族は同じ場所で共に生活するケースが多く、核家族化が進んでいるといっても、国を超えてまで、離れて暮らすケースは少ない。だから常時接続という意味でいえば、家族レイヤーでの通信限界距離は家庭内にまで限定される。ただし、血縁という縁は物凄く強い縁だから、たとえ遠く離れて暮らしたとしても、縁そのものが切れるということはない。

知人レイヤーでの通信も家庭レイヤーと同様に、地域共同体内での通信が主になるから、通信限界距離も家庭内から地域共同体内へと多少限界が伸びる程度であって、国を超えるほどの通信距離は持てない。

上位レイヤーで通信される情報は、縁の繋がる範囲が社会的に広がってゆくので、より客観的・普遍的な情報が主になる。特に国家や民族を超えて通用する情報や価値観はグローバルに通信が可能なほど通信可能距離が長い。

画像


5.上位レイヤーにおける相互通信

下位レイヤーでは意思の疎通は比較的容易。相手をある程度知っているから。受け入れる準備ができている。

でも国家や民族を超えて通信されるような、グローバルに通信される情報なんかは、国境を越えるたびに、しばしば翻訳を必要とする。

上位レイヤーで伝達する情報を翻訳する場合、翻訳機能の性能が悪いと情報にノイズがのったり、データ抜けがあったりして、純粋に伝わらなくなる。特には減衰したりする。

翻訳機能には得手不得手があって、伝播される情報の内容によっては、ほとんど翻訳できないケースもあり得る。これはその国や言語にもともとその思想を咀嚼できるほどの基盤となる概念のデータベースがどれだけ充実しているかによる。

たとえば、日本語では魚に関する語彙が豊富で魚の成長に合わせて呼び名を変えたりしてる。またイヌイット語には雪に関する豊富な語彙があって、雪の細かな状態にあわせて呼び名がある。

こういった概念データベースが豊富な領域の翻訳機能の能力は高くなるけれど、そうでないものの性能はどうしても低くなる。

日本は昔から、思想の輸入と熟成を繰り返してきているために、様々な思想を翻訳できるだけの機能をある程度備えてきたといっていい。

逆にいえば、他国から思想を輸入せずとも自国だけでやっていけるような自己完結性の高い国は、思想の翻訳機能が弱いという欠点を持っているということになる。

岡田英弘教授によれば、中国の近代化は、先に開国した日本が近代化する際に、西欧文明の思想をことごとく翻訳、日本語化していたものをそのまま輸入したお陰であると述べている。

これも、自己完結性の高い国がもつ思想の翻訳機能の弱さを日本の翻訳機能の強さによって補完した好例といえる。

つまり、思想レイヤーでは、各種思想の翻訳機能が弱いと思想の翻訳がうまくいかず、思想レイヤーは活性化しない。使えないレイヤーになる。日本は概念データベースが充実しているので、この思想レイヤーも十分活性化できる素地がある。

教育効果が大きいというのは、毎日一定時間接続されて受信しているから。教育は普通は先生から生徒に教える一方通行の通信だから、集中的に影響をうける。

上位レイヤーでは、個人の思想信条に合致しないものも通信されるから、原理的に思想の衝突が起こることがあり得るのだけど、上述したとおり、翻訳機能の得手不得手による翻訳時のノイズや減衰効果による誤解と衝突もあることも忘れてはいけない。

経済レイヤーでも、こうした翻訳機能差による、トラブルを避けるために、法制度と契約条項の徹底によって、規格統一を図って、なんとか相互通信を可能にしている。

現在グローバルに通信可能なレイヤーはこの経済レイヤーだけ。それはすなわち、現在、世界標準規格の情報としては「数字」しかないことを意味してる。

文明の衝突とか言われているけれど、これは、思想レイヤーで相互通信がうまくいかずに衝突を起こしている状態とも言える。

ネオコンの言い分は民主主義思想を思想レイヤーでの世界標準規格に統一しようという試み。

アイソレーニストは、思想レイヤーの通信規格統一などやめて、衝突を起こさない範囲でだけ通信すればよいという主張。

画像


6.バーネット地政学と縁起レイヤーの関係

バーネット地政学では、紛争地域は田舎でおこるのに対して、グローバル化が進んだ地域では起こらない。だから、他国と繋がって都会化することだ、という。

各レイヤーごとに互いに縁が沢山つけばつく程、経済的にも道義的にも縁を切るのが大変になる。縁を綺麗に切らないうちに干渉したり、紛争や戦争を起こすと、無法者のそしりを免れない。

だから、レイヤーごとの接続を沢山もてば、紛争がおこりにくいということになる。特に下位レイヤーで縁がついていると、紛争を起こす側にも、起こされる側にも、双方に道義的問題が発生する。内部で紛争に対する抑止力が働く。つまり、縁の繋がりそのものが抑止力になり得るということ。

ハプスブルグ家の外戚関係による平和維持は、下位レイヤーの接続を強くして、平和を維持した例。

田舎は普通、貧乏だから、まず経済レイヤーが育ちにくい。経済レイヤーが未発達な段階では、メディアや知的産業が主な伝達媒体である思想レイヤーはもっと形成されないし、様々な思想の翻訳機能も熟成できない悪循環に陥る。

田舎はもともと上位レイヤー自身が形成されにくい条件を持っている。

国家間の相互通信は、互いに距離が遠く離れているので伝送距離の長い上位レイヤーでしか通信できないケースが殆ど。しかし、貧乏な田舎では上位レイヤーが存在しないので、下位レイヤーで形成される、比較的近距離通信のレイヤーのブロックがばら撒かれている。

下位レイヤーでの活動の中心は主に地域生活圏だから、生命の安全が脅かされたり、互いの地域生活圏が拡大して、下位レイヤー同士が互いに衝突して紛争になる。

バーネットのいう地政学的に繋がるというのは、グローバルレベルで繋がることを指すのだけれど、縁のレイヤーで説明すれば、グローバルに縁を繋ぐとき、伝送距離の問題から互いに接続できるのは、上位レイヤーになる。しかし、上位レイヤーの形成は田舎では難しく、ある程度以上の都会を必要とする。これは、バーネットの主張と軌を一にする。

下位レイヤーレベルで直接繋がる場合は、移民または、個人的友人関係による縁を作るしかない。移民した場合は、相手の下位レイヤーとなじまなければ、下位レイヤーを形作っている縁起の織物に、別の色合いの布をいきなりツギハギしたと同じ状態になる。当然物理的衝突が起こる。バーネットの主張する田舎で紛争が起こるのと同じ状態が出来上がる。下位レイヤー同士の衝突は生活圏の確保に関わるから。

ユダヤ人や華僑は家族単位で世界中に移民している。すなわち下位レイヤー、特に最下層の家族レイヤーレベルでグローバル化しているのが特徴。物凄く縁の繋がりが強いグローバルネットワークを形成している。

アメリカはフルブライト奨学生制度なんかで代表されるように、世界中から人材を集めて、親アメリカ人材にして、世界中に送り返している。これは主に知人レイヤーで縁の接続をグローバル化する戦略。知人レイヤーでの縁の繋がりもまた強い。

世界の覇権国は上位レイヤーを抑えることで自国の国益に沿った国際法を規定し、下位レイヤーを抑えることで、他国を臣従、悪くいえば属国化することで覇権を維持してる。

だけど、下位レイヤーはその国独自の伝統や思想を伝達するのが主な役目だから、なるべく干渉しないで保持しておくのが筋。グローバル化する対象にはそぐわない。下手をすれば、相手の伝統破壊に繋がりかねない。

だからグローバル化は、上位レイヤーだけにして、下位レイヤーへの思想伝達はその当事国にまかせるべき。

今のところ、日本が世界と繋がっているレイヤーはといえば、経済レイヤーが殆ど。思想レイヤーも繋がってはいるが受信が主で、送信は殆どされていない。翻訳機能が充実しているのにも関わらず、相互通信機能は果たしていない。

下位レイヤーにいたっては、論ずるまでもない。殆ど接続すらされていない。スタンドアロンなレイヤー。

世界に影響を与えるためには、経済レイヤーだけでなく、まず思想レイヤーの送信機能の充実を図る戦略を構築する必要があるだろう。

画像


7.鎖国の功罪

日本は開国と鎖国を繰り返しながら、他国からとりいれた文明を咀嚼していった。

縁のレイヤー構造から説明すれば、日本は、下位レイヤーを常に遮断したまま、上位レイヤーの開放と遮断のみによって他の文明を取り入れてきた。

開国時には上位レイヤーを世界に開いて、最先端の文物を受信して、ある程度受信し終わったら、今度は鎖国して、上位レイヤーを遮断した状態で、上位レイヤーから取り入れた情報を下位レイヤーに伝達していくプロセスをとった。

その際に下位レイヤーを規定・保持している日本的価値観や伝統と整合するように、相性の悪い情報は削除し、時には価値観や伝統を微修正しながら、下位レイヤーまで伝達していった。

そしてある程度下位レイヤーまで伝達し終わったころに、また上位レイヤーを開いて世界の最先端情報を受信するというプロセスの繰り返しだった。あたかもパケット通信をしてきたようなもの。

その反面、他国との受信に上位レイヤーのみ使用して、下位レイヤーは常に開放してこなかったから、下位レイヤーレベルで、世界と縁が繋がることはなかった。これは海外との外交交渉においてはマイナスに働いた。人脈や時の政権とのパイプを作れないから。

画像


8.普遍的価値の抽出

日本的価値観の源流は日本神道にまでさかのぼる。しかし、日本神道は教義をもたないので、仏教やキリスト教といった世界宗教とは違って、個人的、地域的な下位レイヤーでしか通信されていない。

上位レイヤーで通信できるためには、日本的価値を教義化・体系化・知識化する必要がある。

また、上位レイヤー、特に思想レイヤーでグローバルに通信するだけの伝送距離を持つためには、思想に全世界的に通用する普遍性がなくてはならず、日本の風土によってのみ形成された思想では、同じような風土をもつ国だけにしか伝送できなくなる。

だからといって、下位レイヤーで世界と縁を繋いでみる戦略は善悪の両面がある。

現在、下位レイヤーで縁を繋ぐという視点からみれば、日本は世界に対してほとんど縁がついていないのが現状。ある意味世界から孤立していると述べたけれど、それが逆に下位レイヤーでの他国からの干渉を退け、日本的価値観を保持している理由にもなっている。

もし、日本が留学生や移民を大々的に受け入れ、民間レベル、個人レベルでの人脈づくりをすすめ、混血や外戚関係づくりを進めると下位レイヤーで世界中と縁が繋がる。

そうすると下位レイヤーで繋がる縁を介して世界に日本的価値観を通信できる反面、繋がった相手の価値観の影響も同時に受けることになる。その際に日本的価値観の中に世界でも通用する普遍的価値をつかんでいないと、今現在、世界でグローバルに通用している価値観に飲み込まれてしまう危険がある。

やはり日本的価値観の明晰知化を進めて、グローバルに通用する部分を抽出し、かつ共通認識として持っておくことが急務ではなかろうか。

日本が将来覇権国家を目指すことになったとしても、下位レイヤーでの世界との接続はまず上位レイヤー、特に思想レイヤーでの送信機能を拡大活性化して、世界と相互通信が十分できるようになってから後の話になる。

 人気blogランキングへ

この記事へのコメント


この記事へのトラックバック