たびたび申し訳ありません。先週末に今週分のエントリーを書けませんでしたので、再掲をつづけさせていただきます。
1.六道と国の輪廻
仏教思想に六道輪廻というものがある。この世に生を受けた迷いのある生命は死後、生前の罪により、地獄道(じごくどう)、餓鬼道(がきどう)、畜生道(ちくしょうどう)、修羅道(しゅらどう)、人間道(にんげんどう)、天道(てんどう)の六つの世界のいずれかに転生し、これら六道で生死を繰り返すと言う。
六道の世界おのおのにそれぞれ住民が住んでいると仮定して、彼らの行動とその世界を維持していくための経済活動を考えると国の発展段階と連動していることに気づく。
地獄道は六道の最下層とされ、閻魔の審判に基づいて様々な責め苦を受けるとされる世界。この世界の住人の行動は兎に角、苦しみから逃れることが全て。国に置き換えると戦争、紛争、治安悪化で常に生命の安全が脅かされている状態に相当する。
餓鬼道は地獄道のひとつ上の世界で常に飢えと乾きに苦しみ、食物を手に取ると火に変わってしまうので、決して満たされる事がないとされる世界。この世界の住人は常に食料と水が不足し、いつも飢えに苦しんでいる。国としては、被食料援助国や難民キャンプに相当する。
畜生道は餓鬼道のひとつ上の世界で、本能のままに動物のような生き方を行った者たちの世界。国としては、強盗・略奪・犯罪が横行し、法治が機能していない状態。
修羅道は畜生道のひとつ上の世界で、終始戦い、争い続け、苦しみや怒りが絶えない世界。国としては、利権・汚職・賄賂が蔓延り、民度が成熟していない状態。
人間道は修羅道のひとつ上の世界で、四苦八苦に悩まされる苦しみの大きい世界であるが、苦しみが続くばかりではなく楽しみもあるとされる。国としては、民度がある程度成熟し、経済的も発達し、文化・芸術活動が行われる状態。
天道は、人間道の上の世界で、天人が住まう。天人は人間よりも優れた存在とされ、寿命は非常に長く、また苦しみも人間に比べてほとんどないとされる。国としては、民度が最高度に発達し、経済的にも豊かになって、他国への援助や寄付、慈善事業などが恒常的に行われている状態。
国民が総体として六道世界のどの世界にあるかをみることで、国全体の発達度を推し量ることができる。国の発展段階とは、六道を上って天道に至る過程とも言える。
国が最高度に発達した段階にあったとしても、ひとたび戦争や飢饉が起こると、地獄道・餓鬼道に落ちてしまうこともある。長い歴史の中では国自身も六道を輪廻してる。
2.天国と地獄の壁
六道世界を通り抜けるときには、おのおのの世界ごとに必要な通過コストが発生する。
地獄道を通過するためには、住民の生命の安全を保障しなくてはならないから、治安維持機構と軍の保持コストが発生する。
餓鬼道を通過するためには、住民を飢えさせないために、水と食料の安定供給装置として、各種ライフラインと資源供給路の維持コストが必要となる。
畜生道を通過するためには、理性を促す活動が必要とされ、各種教育設備等のインフラ建設と法体系の構築及びそれらのメンテナンスと更新コストがかかる。
修羅道を通過するためには、法の尊守意識、人権意識・モラル向上の施策を恒常的に行わなければならない。
人間道を通過するためには言論活動の自由と保障および各種生活環境整備をしなくっちゃいけない。
実際には外敵の存在や価値観の変化など、様々な要因があるから、六道世界それぞれの通過コストの内容そのものは変化することがあるけれど、通過コストは常に必要。
治安が悪い国や紛争地域では地獄道通過のためのコストは莫大。資源のない国や食料自給できない国にとっては餓鬼道通過のためのコストは絶対必要。
もちろん、地政学的な環境や経済状況、政治体制によって、六道世界それぞれの通過コストのウェイトは国ごとによって異なるけれど、通過コスト無しで済ますことはできない。
先進国を六道の世界観で定義してみると、経済協力開発機構基準でみれば、人間道・天道、人間開発指数基準でみれば、修羅道・人間道・天道になるだろう。六道の世界観では、地獄道・餓鬼道・畜生道が地獄、修羅道・人間道・天道が天国として扱われる。乱暴な言い方をすれば、地獄から天国に上って初めて先進国と定義できる。
六道世界の地獄と天国の境界は畜生道と修羅道にあたる。教育設備・法整備を行った上で、実際に法の尊守精神や人権意識を普及しモラルの向上をしないと先進国に入れない。
地獄道・餓鬼道を通過するための治安維持機構やライフラインの整備、食料自給および輸入のルート確立といった部分は国の権限である程度賄える部分。だけど、畜生道・修羅道を通過するためには国民全体の意識を向上させ、民度を上げなくちゃならない。
3.伝統の値段
畜生道・修羅道を通過することは実に大変。住民のモラルが対象になるので、教育の普及、法治の徹底を行わなけいといけない。時間も金も手間も掛かる。途上国と先進国の間にある畜生道・修羅道の壁は、とても高かったりする。
日本の敗戦後の歩みは、地獄道・餓鬼道の世界になった国土からのやり直しだったにも関わらず、わずか40~60年で先進国である人間道・天道の世界まで到達した。これは日本の伝統の力が大きく関わっている。
日本の伝統は地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道の通過コストの多くの部分の肩代わりをしていた。そして、今現在も肩代わりし続けてる。
他人への信頼で成り立つ社会が、治安維持のコストを安くする。(地獄道通過コスト)
創意工夫、譲り合いの精神がライフラインの保全コストを抑え、エネルギー消費効率を上げ、省エネ社会を維持する。(餓鬼道通過コスト)
識字率の高さが教育の普及コストを安く抑える。(畜生道通過コスト)
正直さ・誠実さを良しとする伝統が、法の尊守意識、人権意識・モラル向上のためのコストの大半を肩代わりした。(修羅道通過コスト)
伝統にも値段がある。それは、六道世界を通過するコストとして換算できる。六道世界の通過を手助けする伝統の値段は高くなるし、逆に六道世界の通過の妨げとなる伝統は安く、場合によっては、借金として見積もられる。
戦後日本では、畜生道・修羅道の通過に必要な民度の向上コストは伝統が殆ど払ってくれた。地獄道・餓鬼道と通過する以前に、正直さ、誠実さ、法の尊守精神は社会一般の規範として通用していた。日本は、畜生道・修羅道の壁を伝統という台座にのって易々と乗り越えた。
良き伝統には地獄を通過する力がある。そして、日本の伝統の値段はとてつもなく高い。
4.地上天国 日本
日本は六道の世界観では人間道・天道の、いわゆる天国にあるといったけど、個人レベルでみても天国を実現している国。天道は人間道に比べて、四苦八苦に悩まされることの少ない世界とされている。個人レベルでみても日本は天道に近い。
四苦八苦とは、「生」・・生きる苦しみ、「老」・・老いの苦しみ、「病」・・病にかかる苦しみ、「死」・・死ぬ苦しみ、「愛別離苦」・・愛するものと別れる苦しみ、「怨憎会苦」・・怨み憎む者と会う苦しみ、「求不得苦」・・求めても得られない苦しみ、「五陰盛苦」・・肉体煩悩にまつわる苦しみ(五官や心で感じる人間の肉体や精神が拘りをつくることでの苦しみ)の八つのこと。これらの苦がどの程度まで克服されているかをみることで、どこまで天道に近いか分かる。
「生」と「死」はこの世に生きる限り、逃れられないので対象外にするしかないけれど、「老」は健康ブームと介護保険制度でアンチエイジングの体制が曲りなりにも整いつつあり、多少なりとも軽減してる。
「病」は衛生観念の発達と、国民皆保険制度という誰でも安価で医療が受けられる体制ができていて苦が軽減されている。
「愛別離苦」は、ゆるやかな増加傾向を示しているものの、他の先進国とくらべて、比較的離婚率が低く、苦の発生頻度そのものが少ない。
「怨憎会苦」は、ほぼ単一民族・単一言語の構成により、他人との意思疎通が容易であり、軋轢も少なく、よって苦の要因が少ない。
「求不得苦」も経済大国であり、事実上ほぼ解消。一般国民がこれ以上欲しいものが余りないと答えていることもそれを傍証してる。
「五蘊情苦」も食欲・性欲・睡眠欲を規制または制限されていない国内の環境から、これもほぼ解消している。
やはり個人レベルでみても日本は天道に近いといっていい。日本の地政学的要因や伝統があってこそ実現できる要因もあるけれど、戦後60年の日本人の努力の賜物。地上天国を実現している国は少ない。もしかしたら日本だけかもしれない。地上天国日本を支えている良き伝統は守るべき。
5.六道世界のあり方
六道世界の住民はおのおのの住む世界を通過するにしたがって、求める経済行為が異なる。その世界を通過すると次の世界の経済行為が始まる。
地獄道の住人は、生命の安全が確保されて始めて、水と食料を求める。餓鬼道の住人は、水と食料が確保されてから、より良い生活を求める。畜生道の住人は、最低限の生活が保障されてから、富を求める。修羅道の住人は、富を確保すると、富の維持や富の拡大を求める。人間道の住人は、富への不安がなくなると、精神的・芸術的活動を求める。天道の住人は、精神的・芸術的活動を恒常的に行っていると、世の中への貢献を考える。
六道世界は通過すべきものであって、固定するものじゃない。各世界ごとに経済活動が自己完結していればいいけれど、大抵は、上の世界の商品が下の世界に流れて消費される。下の世界の住人が富を得るにしたがって、上の世界を目指すから。
だけど、六道世界は過程および結果であって、理想じゃない。六道世界、とりわけ地獄の世界は通過して、全てが人間道・天道に入ることこそ目指すべき。地獄から富を吸い上げて、天国を維持するのは間違い。人間道・天道が、地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道をつくることで支えられてはいけない。
6.日本の生き筋と地獄の解消
世界への日本の商品や援助のあり方は、他の国の地獄を通過する手助けとなるものを目指すべき。日本の生き筋はここにある。
たとえば、餓鬼道へ売る商品を考えたとき、ただの食料は、餓鬼道の世界内で消費・維持するためのものであって、通過を手助けするものじゃない。ところが、粘土団子や緑化技術の輸出となると、食料・水の自給自足を促すことになり、餓鬼道通過の手助けになる。日本はこの道を目指すべき。
注意すべきは、畜生道と修羅道の通過の手助け。欲望と利権で生きる世界にインフラ整備して、金だけを投下しても効果は薄い。民衆に届く前にピンハネされる。やるなら利権を排除できる相手や環境を選んで慎重に行うべきだけど、やり方に口を出すのは内政干渉になるので出来ないし、やるべきじゃない。
それより日本の伝統を輸出して、感化する方向で考えたほうがいい。日本のアニメやマンガが世界中で人気だけれど、これをうまく利用する。アニメやマンガのシーンの中で、ちょっとした日本の文化の日常を織り込んでおく。交番で道を聞くシーンや、おまわりさんと地域住民の信頼関係を描く。お釣りを誤魔化さない店員。正確な電車の運行や、折り目正しい人々。譲り合う姿。ちょっとでいい。外人が聖戦士星矢を歌い、ハレ晴レユカイを踊るほどの影響力。物凄く効果がある。
これらが畜生道・修羅道の通過コストの肩代わりをし、地獄道・餓鬼道の通過コストにもなっている事実。日本の伝統が天国に向かう力であることを示す。世界に地上天国とはこういう世界なんだと示せばいい。
世界の大部分が、人間道・天道に入ることで世界は平和になる。それをもっとも安上がりでできる方法に日本の伝統がある。
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