富を生む社会 (覇権について考える その2)
植民地政策の昔であれば、富は、収奪した原材料や奴隷労働力で富を蓄積した。生産限りなく安く抑えることで、利潤を得た。
しかし、時代がすすんでくると、とくに自由民主主義の普及にしたがって、その富を生む主体が変わってきた。
生きるための富は、食糧資源やエネルギー資源になるけれど、文化的生産活動が高じてくると、商品価値が富をもたらすようになってくる。
価値を創造する社会を形成するには条件があって、それは価値を生み出す土壌づくりと価値を価値たらしめる環境および市場創造の二つが必要。
価値を生み出す土壌とは、信教と表現の自由の確保と所有権の保障がなされていること。これがあって文化的発展があって、それらが積み重なってシーズのもとになったり、ニーズが発生する土台になったりする。そこから新しい価値が生まれてくる。
価値を価値たらしめる環境と市場創造とは、新しい価値に対して、社会的意味付けをして、社会全体に普及できるしくみ。DVDとかパソコンのOSとかは規格を統一していくことで、どのメーカーも市場に参入でき、消費者もメーカーにこだわらず、商品を選択できるようになる。結果、生産コストも下がり、市場も広がってゆくことでトータルでみれば富を生むパフォーマンスは向上してゆく。
アメリカはチャレンジャーの国。誰もやったことのないことに取り組むことが称賛される。大量のモノにならなかった価値の中に、世界を変えるような新しい価値を生み出すこともある。
日本は昔から、職人を大切にしてきた国。ずぶの素人でも驚く工夫を普通にする。アマチュア層の土壌が肥沃で、且ついろんな分野にわたっているから、新しい考えや商品をどんどん取り込んで、使い物になるレベルへの価値転換をしたり、全く別の価値を生んでみたりもする。
また、欧米は価値を価値たらしめる環境と市場創造も得意。業界の標準規格となる仕様をいち早く設定して、世界中に普及する。この仕様が価値になるのだと決めてしまう。
新しい価値が富を生むためには、価値が価値として認識されて、発揮できる場・市場がないといけない。価値が利潤をもたらすためには、価値を創造するフェーズと、価値を価値として普及していくフェーズの二つが揃って始めて成立する。
日本は価値の普及が弱い。職人意識というか、匠の意識というか、良いものが作れたらそれだけで満足してしまうところがある。
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