価値を生み出す存在 (利潤について考える 最終回)

ブータンでは、研究所を設立して国民総幸福量を指数で表す研究をしているけれど、多分に主観に属する幸福度を数値で表すのは難しい。

ひとつの指標として、

幸福(満足度)=実現度(達成度)÷欲望の大きさ

が上げられているそうだけれど、これでは欲望のまったくない仙人のような国民ばかりであれば、まったくなにもしなくても幸福度は極大になってしまう。

つまりこの式は無為自然が最高の姿となる指標。ある意味、調和の姿だけれど動的ではない。無為自然の状態から進歩の力を得るのは難しい。

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幸福というものをいかなるものとして捉えるかで幸福度の算出式は当然変わる。

幸福というものを心の平静とだけ捉えると、無為自然の生き方が一番いいことになる。自分が自然なのか、自然が自分なのか分からなくなるほど自然と一体化した生き方が、いちばん心が乱れない。そういう幸福があることはもちろん否定しない。

だけど、幸福を自己の能力や認識力の拡大と捉えると、自分の価値を高めることが幸福を得る道になる。

人を儲けるということは、その人の才能が開花して、より多くの価値が生み出せるようになるということだから、その人が成長してゆくことで、自己拡大していって幸福感が生まれてゆく。

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人が成長してゆくには、適度な負荷と最適な目標と達成感が必要だけれど、それを行っていける社会になるためには、まず、人が新しい価値を生み出せる力を内包する存在だとみれなくちゃいけない。それがあって初めて、それを生かす場としての、価値を生みだしていける職業や社会がある。

人をただの労働力だとみて、人を儲けることを考えなければ、やがてその社会は衰退してゆく。

ロボットと違って、人が人であるがゆえの最大の力は創造性。なにかを生み出す力。それは神にも等しき力。だからこそ人は尊い。

その尊さを最大限に尊重して活かしていく時に、人が儲かり、社会が儲かり、幸福度が増大する社会になるのだと思う。

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この記事へのコメント

  • suzuran

    ブータンはチベット仏教をどこまで継承していけるか、それと西欧の物質文明とをバランスよく取り込んで、国民が信仰深く幸せ感を持続しながら生存可能な生き方、を模索していく世界初の実験国になるのかもしれない。北欧は一神教世界の優等諸国で教育に力を入れている、それでも苛め自殺が起こっている。アジアに起こった仏教は、自然と共生可能な人間世界をつくり上げて行く原動力として注目されるのではないかと思います。願わくば中国がチベットと同じく侵略しませんように、、、と祈りたいです。
    2015年08月10日 18:18

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