心のかたちがみえるということ (心と商品について 最終回)

カスタマイズもいろいろな分野で当たり前になってきた。カスタマイズとは自分に使いやすい、自分好みの、自分だけの設定や形状に作り変えること。

昔は車やバイクのチューンナップだったり、プラモや電気機器の改造だったりしたけれど、今はPCの自作や設定変更、ゲームのキャラ設定変更など、バーチャル空間にまで広がっている。このカスタマイズが面白いという。

これは、もっとハードルを低くした心のかたちを自分で表現する試み。そういうサービスがこれからはどんどん当たり前になってくると思う。

画像


自分の心のかたちを自分で表現できるのが簡単になってくると、世の中に個人の心の形がいろんな表現形式で溢れてくるようになる。

それを見た人は、それぞれに対して自分の心のかたちに感応して反応を返してゆく。なかには多くの人の共感を得て、大いに支持されるものもあるだろう。

そうなると、個人の心のかたちの質がだんだん問われるようになってくる。

芸術作品で、多くの人の心をうち、のちのちの時代まで残っていくものとそうでないものがあるように、個人の心のかたちを表現した中身、心の質が良いものが求められるようになってくると思う。

画像


気高い精神、美しい心とそうでないものが明らかになる時代。人様に出して恥ずかしくない心のかたちは見える化しても平気だけれど、お見せして恥ずかしい心はみえる化なんてしないし、したくもない。

こうした消費行動がトレンドになってくると、ビジネスを考える上でも、心の形に目を向けるようにならざるを得ない。

みえる化した心のかたちに価値を見出して、それが富を生むようになるとしたら、人様に出して恥ずかしくない心の人は引っ張りだこになる。心のかたちが才能として扱われる。

これからは心の時代だ、なんてよく言われてきたけれど、心のかたちが富を生むようになるとますますそれを実感するようになるに違いない。

人気blogランキングへ

この記事へのコメント


この記事へのトラックバック