ゲームにおける個人の表現 (心と商品について その4)

「サッカー選手は芸術家。高給はファンを魅了する活躍に対する報酬だ」

英国の文化・メディア・スポーツ省の政務次官が「サッカー選手の給料は高すぎる」と発言したことに対しての、マンチェスターCのエリクソン監督の反論。

サッカーに限らず、一流選手のプレーは時に芸術的と呼ばれることが多い。

一流選手の心のかたちが、本人の身体運動的知性を介して、プレーに表れるのだろうけれど、これも心の見える化のひとつ。

最近では、家庭用ゲームなどを通じた対戦を「eスポーツ」と呼び、プロスポーツ競技として育てる取り組みが動き始めているそうだ。

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いくらサッカーが大好きでも、まず運動能力や才能が必要だし、その中でもプロにまでなれるのはほんの一握り。でもゲームだと、好きなだけ練習できるし、指の動きさえ上達すれば、それなりに巧くなれる。

リアル空間では、プロにはなれないけれど、ゲームの世界ではスーパースターになれる可能性がある。身体能力を要求しない分だけ、ハードルが低い。必要なのは、指の動きと反射神経と創造性。

特に創造性についてだけでいえば、プロの選手を凌駕する創造性を発揮するゲーマーがいてもおかしくない。

ゲームの自由度があがって、個人の創造性を存分に発揮できるほどになればなるほど、ゲーム空間内で心のかたちをみえる化できるようになってゆく。

心のかたちの見える化のハードルがどんどん低くなって、その手段も多様化してきたのが現代。科学技術が心のみえる化を助けるようになってきた。

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