国民が総理を育てる (福田総理考 最終回)


総理が人の意見をよく聞くというのであれば、国民の声もよく聞くということ。

マスコミが、小泉元総理をポピュリズムだといってよく批判していたけれど、実は福田総理こそが、このポピュリズムにならないよう注意しないといけない。

ポピュリズムは大衆迎合主義と訳されることもあるけれど、大衆に迎合するということは、大衆のいうことを聞くということ。

大衆が望むことが本当にいつも正しいのかという命題を考えたとき、民主国家は民度が高くないとうまく機能しない。感情に流されすぎると衆愚制に陥る。

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普通、大衆はまず生きてゆくことを考えないといけないから、目先のことを要求するし、その視野は自分の周囲だけであることが多い。それは当たり前のこと。

だけど、全ての地域や業種において、それぞれの利害が対立しないことなんてあり得ないからどこかで調整しないといけない。それは政治家の仕事。

だから、福田総理の「安」の立脚点が、どこまでの時間の射程距離を持っているかとどこまでの視野で物事を捉えているかによって、その判断は大きく左右される。

目先のことだけに囚われて、その場の利益を取った結果、あとで窮地に陥るなんてよくある話。

それを防止するのは国民の民度の高さ。小泉元総理は、ただ自分はこうするんだということを極めて分かりやすく国民に提示して、それを国民が支持していったスタイルだったから、国民はその政策にイエスかノーかだけを言えばよかった。

だけど、福田総理のように、皆さんの意見を聞かせてください、というスタイルになると、逆に、国民がどこまで冷静な判断で意見を上げることができるかが問われる。

国民が政治家を育てるというけれど、福田総理が総理としての実績をどこまであげられるかは国民自身の意識にかかっているように思う。


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