中立とは何か(コンテンツと規制について その4)

政治的立場もそうだけれど、情報に中立性を求めるのはそもそもにして難しい。

まず絶対的な中立の基準からして決められない。価値観や伝統ですら、時代と共に変遷してゆくもの。仮に決めることができたとしても、右や左の人からみれば、それこそが偏ってみえるし、右や左のどちらかが多数派を占めると、以前は中立だった考えが途端に異端扱いになる。

だから、中立って、どの意見にも与さないか、どの意見も全て等しく賛成するかのどちらかの立場しかとれない。

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たとえば、テレビの政治系番組で、どの意見も言ってはいけないからと、「総理が10時に官房長官と面会しました。」とか事実だけをひたすら伝えて、キャスターのコメントもなく、コメンテーターもいない番組をやったとしても、視聴率はほとんど期待できないだろう。

逆に全ての意見を紹介しようとして、100人のコメンテーターに一分づつ全員に喋らせたとしても、決して完璧にはなり得ない。101人目のコメンテーターだっているだろうし、視聴者の意見の中には、数が多い分だけもっと違った意見もあると考えるのが自然。視聴者FAXを全部紹介していたら日が暮れる。

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また、週刊誌や書籍に中立性を求めることは、もっとナンセンス。事象を分析する切り口の鋭さや、著者の見識の高さによって、商品として成り立っているのだから、中立な立場にはなり得ない。

だから、中立性を保つというのは、中立という情報がある訳ではなくて、様々な方向に偏った情報の山の中から、視聴者や読者が自分の立場で、自由に選択できて、その内容の価値判断もその人に完全に委ねられる環境を保障するということになる。受け取る側のニュートラルな立場を守るということ。

この情報しか読むな、考えるな、と縛り付けたら、その瞬間から中立ではなくなる。それは全体主義への最短距離。


本シリーズエントリー記事一覧
コンテンツと規制について その1「規制の対象」
コンテンツと規制について その2「インターネットの交通ルール」
コンテンツと規制について その3「コンテンツと媒体」
コンテンツと規制について その4「中立とは何か」
コンテンツと規制について その5「自由と公平」
コンテンツと規制について その6「情報価値のつけ方」
コンテンツと規制について その7「2ちゃんねる」
コンテンツと規制について その8「ロングテール」
コンテンツと規制について その9「万人の秀才とひとりの天才」

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この記事へのコメント

  • 喜八

    日比野さん、こんばんは。
    コメント欄トラックバックです(ウェブリブログの方にはTBを送れないことが多いのです・・・)。

    「ブログ戦略(1)」
    http://kihachin.net/klog/archives/2007/12/senryaku1.html
    2015年08月10日 18:18
  • 日比野

    喜八さん、こんばんは、コメントありがとうございます。
    TB確認しましたが、入っていませんでした。相性が悪いのですかね。

    喜八ログの「ブログ戦略1」拝見いたしました。中立者を作るとのこと、同感です。日比野庵の過去エントリーの中でも同様な趣旨でブログでの言論戦に触れたエントリーがありますので、そちらにTBさせていただきました。こちらにもURLを貼っておきます。

    http://kotobukibune.at.webry.info/200707/article_21.html
    http://kotobukibune.at.webry.info/200707/article_22.html

    このエントリーでも、言論戦では中立者を味方につけなければならないことと、心の在り方においてダークサイドに堕ちてはならないとしています。

    では、喜八ログの次なる戦略の記事、楽しみにしております。
    2015年08月10日 18:18

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