コンテンツと媒体(コンテンツと規制について その3)

「情報の車」は、個々人のPC端末で読まれたり、書いたりされてその意味を持つ。だからコンテンツの持つ価値は、個人によって異なるもの。同じコンテンツであっても、興味のある人にとっては重要な情報だけれど、さして興味のない人にとっては、それほどの価値は持たない。

だから、社会的に影響力のあるものというのは、「広く一般的に普及している」という意味と、それを見た多くの人がなるほどそのとおりと「納得して共通理解になっていく」という意味の二つがある。前者はネットインフラの部分だし、後者はコンテンツの内容そのもの。

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[ピカさんの夢のある絵画]より

前者的意味においての、「広く一般的に普及している」という意味での社会的影響力は、情報インフラに属する部分だから、情報媒体の問題になる。

ネットが普及する前はテレビが、あるいは今でも、第一の情報媒体だけれど、それ以外にも新聞や雑誌、書籍といったものがある。

更に宗教団体をはじめとする各種団体、企業、井戸端会議にいたるまでの人的ネットワークも一種の情報媒体といってもいいだろう。

後者的意味においての、「納得して共通理解になっていく」という意味での社会的影響力は、内容そのものが納得できるかどうかだから、その真偽や価値、重要性の判断は情報を発信する人と受け取る人双方に委ねられる。

だから、「政治的な中立性が保たれているか」とか「公序良俗に反していないか」とかいうものは、個々人の価値観の判断に委ねられるものであって、一意に決められるものじゃない。もちろん長い歴史や伝統で社会的に合意形成されていった、道徳観というものは確かに存在するのだけれど、それこそいわゆる公序良俗と言われるもの。

もし、これらを規制できるものと考えているのであれば、それは全体主義とでもいうべきものであって、一般大衆は自分の頭で考えることなんてしなくて、受け取ったものをそのまま鵜呑みにするものだ、と考えていることにもなりかねない。きちんとした価値判断が固まっていない児童や青少年くらいまでならともかく、大人相手にもそう考えているとしたら少し問題がある。

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今回検討されている「情報通信法(仮称)」では電波放送やネットの扱いがクローズアップされているけれど、「広く一般的に普及している」という意味での媒体は、ネットやテレビのような通信媒体だけじゃなくて、紙媒体もあれば、口コミもある。

発行部数が減ってきているとはいえ、新聞や週刊誌だって、「広く一般的に普及している」という意味では、まだまだ社会的影響力は持っているし、特定政治団体の機関紙なんかは思いっきり「政治的に」偏ってる。

たとえば、どこかの団体の機関紙かなにかが、各家庭、各世帯に一軒残らず配られることになったとしても、読みたくない人はゴミ箱に直行するし、くだらないテレビ番組だと思ったらスイッチを切るだけのこと。この選択の自由こそ保障されるべきもの。これさえきちんとしていればいい。

もし、紙媒体や各種団体が規制されずに、ネットだけが規制されるような動きになって、それが利権がらみであったとしたら、紙媒体や各種団体が自分達の影響力が低下することを恐れての、ネットへの攻撃と見えなくもない。



本シリーズエントリー記事一覧
コンテンツと規制について その1「規制の対象」
コンテンツと規制について その2「インターネットの交通ルール」
コンテンツと規制について その3「コンテンツと媒体」
コンテンツと規制について その4「中立とは何か」
コンテンツと規制について その5「自由と公平」
コンテンツと規制について その6「情報価値のつけ方」
コンテンツと規制について その7「2ちゃんねる」
コンテンツと規制について その8「ロングテール」
コンテンツと規制について その9「万人の秀才とひとりの天才」


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