身体能力とハンデ戦 (スポーツと戦争について考える その7)

スポーツ競技においては、個人でも集団でも、その選手の技術の高さもさることながら、身体能力の高さも大きくものを言う。

サッカー日本代表選手がアフリカの国と親善試合をやった後のインタビューで「届かないと思ったところからでも足が出てくる。」と、その身体能力の高さを口にする光景が良く見られる。

スポーツは身体競技だから、身体能力が実力に大きく影響するのは当たり前なのだけど、それでも同一競技で、身体能力の差が10倍とか100倍とかになることはない。アスリートの世界は100mをコンマゼロ何秒早く走れるかといった微妙なもの。

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集団競技だと、個々人の微妙な差が積み重なって、チーム力としては大きな差になることもあり得るけれど、そこはU22とかフル代表とかにカテゴライズして、なるべく差がつかないように工夫したりしている。また、体重がものを言うボクシングや柔道などの格闘技系スポーツなんかでも、体重別に階級分けして、公平な試合が成立するようにしている。

戦争をスポーツに見立てると、身体能力は兵器の性能にあたり、選手本人の技術が軍の練度にあたるといったけれど、科学技術は肉体の身体能力とは違って、100倍も1000倍も差をつけることができる。

事実、イラク戦争でみせたアメリカ空軍の兵器の威力は、スポーツでいうところの大人と子供の身体能力の差以上のものを見せつけた。

スポーツの世界でも、身体能力の差があまりにもあると、少々の技術の差なんて関係なくなる。兵器の世界では、それがもっと顕著に現れる。軍の練度に多少差があったくらいなんでもない。

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大人と子供が、運動能力で真剣勝負するバカバカしさと同じくらい、兵器性能差がありすぎる国同士での戦争もバカバカしいものとなる。やる前から勝敗は分かりきっている。それくらい差のある相手と試合をしなければならなくなると、弱い方はルールを無視するか、ルールを変更して勝負するしかなくなる。

たとえば大人と子供がサッカーで試合することになった時に、どうやったら子供が勝てるかを考えたとすると、思いっきりハンデをつけるくらいしかない。大人11人に対して、子供100人で試合するとか、子供チームは誰でも手を使っていいとか、子供チームだけオフサイドなしとか。

非対称戦と呼ばれるテロとの戦争なんかはちょうどこれ。大人チームの監督がいくら「卑怯者。正々堂々とかかってこい。」と吼えたところで、子供チームからみれば、卑怯なのはそっちだろ、となる。

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