ルールと審判 (スポーツと戦争について考える その6)

スポーツはヒトの闘争欲求を満足させるために生まれた、ルールのある代理戦争だという説を取り上げたけれど、実際の戦争に全くルールがないわけじゃない。

国際法では戦争は当事国の軍隊同士が行うことになっている。民間人は対象じゃない。だけど、イラク戦争をみても明らかなように民間人も殺されているから、既に有名無実化してるようにみえるけれど、スポーツ的な見方でみるとまた別の視点で見えてくるものがある。

仮に戦争をある種のスポーツに見立てると、軍隊は選手になるし、航空戦や陸上戦その他は、各種競技種目に相当する。兵器の性能は、身体能力になるだろうし、軍の練度はその選手の技術になるだろう。

この戦争「スポーツ」におけるルールにあたるものは、今の世では「人権」。自国も敵国も等しく「人権」を尊重することになっている。建前上民間人は殺害してはいけないことになっているけれど、勝利を至上とするあまり、手段を選ばなくなれば「誤爆」という名の反則行為を行うことは当然あり得る話。

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戦争当事国以外の国々、国際世論は、いわゆる観客としてこれを見ていて、どちらが勝ってる、負けてるを判定してる。眼が肥えた人はもちろん反則行為なんて即座に見抜いてる。たとえ反則した本人がうまく誤魔化したに違いないと思っていたとしても。

反則が反則として成立するのは、ルールではなくて、権限を持った審判が存在するから。審判の権限を持って反則者を退場処分できるから、ルールは守られる。退場するのが嫌なら、反則をしないか、審判の目を盗んで反則するしかない。

戦争で問題になる条件は、ルールがどうこうではなくて、権限を持つ審判がいない状態での戦争。強制力を発揮できる存在がいない戦争が一番問題。

唯一強制力を発揮できる資格があるのは、他国と比較して圧倒的な軍事力を持つ、いわゆる覇権国になるのだけれど、覇権国が戦争の当事国、つまり審判が選手になってしまったら、反則しようが何しようが、止める存在がいなくなる。全ての選手がスポーツマンシップを発揮しない限り、審判不在の試合は滅茶苦茶なものになる。

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この記事へのコメント

  • あきつ

    まさに 大国と小国の戦争がそれですね。
    ルールなんてあって無きものです
    2015年08月10日 18:18
  • 日比野

    あきつさん、こんばんは。昨日、今日とコメントありがとうございます。お返事遅くなり申し訳ありません。
    おっしゃる通り、大国と小国での戦争はもはや試合にはならないのですね。あまりにも戦力差、身体能力差がありすぎます。
    戦争の世界でも「審判」が確立すればいいのでしょうが、無理なのでしょうね。せめて観客である第3国からの批判の目にさらすくらいしかない現実。悲しいことです。
    2015年08月10日 18:18

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