国際試合と参加意識 (スポーツと戦争について考える その4)

国際試合だと、いやがおうにも出場国の威信、国威がかかる。

野球の北京五輪のアジア最終予選の視聴率が、国内中継を大幅に上回ったのも、国威がかかっていることは当然だとしても、それ以上に観客の意識が「見る側」より「する側」にウェートがかかっていたからではないかと思う。見る意識から参加する意識が強くなるのが国際試合。

だからおそらく、内容よりも勝つことが重要視される。北京五輪の出場権がかかった予選だからというのもあったのだろうけれど、実際の采配も1点を取って、1点を守りきる、勝利に徹したものだったし、アナウンサーも「負けるわけにはいきません」と繰り返し絶叫していた。

星野ジャパンの主将・宮本慎也選手は「国と国との勝負。『戦争』のつもりで戦った」と星野ジャパンの強さの源を明かし、決戦前のミーティングで若い選手達に『今まで自分のために(野球を)やっていたことが多いと思う。でも、今回ぐらいは、人のために、自分以外のためにやっていいんじゃないか』と語りかけたという。

画像


スポーツは平和な時に、ヒトの闘争欲求を満足させるために生まれた、ルールのある代理戦争だという説があるけれど、選手本人はもとより、それを応援する側を含めた人々全体の参加意識に影響される面がより強いのではないかと思う。

今回の予選の盛り上がりを見る限り、地域とか国とかいう単位に支えられたチームが成立すると、その共同体に属する人々に強烈な参加意識が生まれることは間違いない事のように思える。

プロ野球の視聴率が落ちてきて、地上波でプロ野球中継がされなくなりつつあるのを横目に、国際試合になると高視聴率をたたき出す現実。日本のスポーツ界もだんだん企業スポーツから地域スポーツへと転換が進んでいくのかもしれない。

 人気blogランキングへ

この記事へのコメント


この記事へのトラックバック