サポーターの威力 (スポーツと戦争について考える その3)
Jリーグ所属クラブであった「横浜フリューゲルス」は98年、母体企業の撤退に伴い、チームが吸収合併され消滅したけれど、チーム存続を願うサポーターが全国から50万を超える署名と募金を集めた。
サポーターのその熱意によって99年、企業の資本に頼らない地域参加型クラブ作りを目指し横浜FCが設立された。その時、モデルとなったのがスペインの名門『FCバルセロナ』。
FCバルセロナは市民クラブの理想といわれるクラブで、サッカーだけではなくバスケットボール、ハンドボール、陸上、野球、女子サッカー、フットサル、ローラーホッケー、アイスホッケー、ラグビー、フィギアスケート、バレーボールのプロチームを運営している。
FCバルセロナの経営の一番の特徴は「ソシオ」と呼ばれるクラブ会員が年間費を払いクラブ経営に参加できる仕組み。FCバルセロナには母体企業や経営者は存在せず、このソシオがクラブを運営している。
ソシオは世界に14万人いて、4年に1度行われる会長選挙への選挙権を持ち、年に1度開催される総会に参加できる可能性すらある。市民が本当の意味でクラブを支えている。
だから、このような地域参加型のクラブでは、サポーターはもはやファンという名のお客さんじゃない。サポーターはサッカーを見に行くのではなくて、選手と一緒に試合に勝つために、スタジアムの観客席に『出場』する。サポーターは12人目の選手と云われる所以。
スポーツライターの玉木正之氏は、その著書の中で、近代スポーツが現在のように競技として確立する以前は、誰でも自由に飛び入り参加自由だったと紹介している。スポーツを「する人」と「見る人」が分離したのは最近のことなのだという。
だから、ゲームを見る側であっても、プレーヤーと同じくらいの参加意識を持って見ている人は、より勝利を求め、ゲームは見るものという意識を持って見ている人は、ゲームが楽しくないと、つまらないから、勝敗より内容を、面白い試合を求めるようになるのだと思う。
つまり、勝利か内容かという命題は、観客のゲームへの参加意識の差によって見方が分かれるのではないだろうか。
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