勝利か内容か (スポーツと戦争について考える その2)
2007年の日本シリーズは中日が制し、53年ぶりの日本一になったけれど、日本一を賭けた第5戦の中日落合監督の投手起用は、後の論議をよんだ。
中日先発の山井投手が8回を86球、6奪三振と一人のランナーも出さない完全試合ペースのピッチングを見せていた。誰しも、日本プロ野球史上初の日本シリーズ完全試合を期待していたのだけど、9回に守護神岩瀬に投手交代。岩瀬が打者3人できっちりと打ち取って、継投による完全試合を達成した。
星野元監督や楽天野村監督はこの交代について、自分なら投げさせているとコメントしていたし、落合監督自身も試合後のインタビューで、山井投手が豆をつぶしたから、投げさせたかったけれど代えるしかなかった、と答えているけれど、その真偽は兎も角として、この件はスポーツにおける、昔からある命題を思い起こさせる。
それは、勝利と内容のどちらが優先されるかという命題。
どんなにつまらない試合でも、兎に角勝てばいいのだという勝利至上主義と、いや内容が伴わなければ意味がない、という立場の対立。
これについては次の2つの側面が関係している
1.球団経営的側面
2.ファンの意識的側面
1.の球団経営的側面というのは、一例としてあげれば、選手の年俸を何を持って査定するかということに代表される類の問題。選手は、試合に出て、打ってナンボ、投げてナンボの世界に生きているから、兎に角、試合に出て成績を出さないと話にならない。
年末の契約更改もチーム成績や個人成績を加味して年俸が定まる。優勝チームと最下位チームでは、たとえ同じ20勝を上げたとしても、年俸アップ率でみると前者が多くなるのが普通。負けるより勝ったほう年俸はあがるから、まずは勝利のために戦うようになるのは当たり前の話。
2.のファンの意識的側面というのは、チームのファンが「お客さん」なのか「サポーター」として扱っているのかに属する問題。
日本の野球は企業スポーツとして発生してきたから、言葉は悪いけれど、親会社や系列会社の広告塔的側面が強い。試合ごとにお客さんが沢山入って、オーナー企業の商品を沢山買ってくれればよい。だから、親会社からみれば、まだまだファンをお客さんとしてみているし、その歴史も長いからファンもお客さんとして野球を見に来てる。
それに対してJリーグなどのサッカーでは、母体は企業スポーツだったけれど、紆余曲折を経て、地域スポーツとしての転換を図り、それが浸透しつつある。
だけど、勝利か内容かという問題は、2.のファンの意識的側面が大きく影響している。
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