価値を生む側と奪う側 (覇権について考える その7)

今、中国は目覚しい経済発展を遂げているけれど、その主体は外資を誘致して、安い労働力で生産コストを低い商品を作って、それが売れているからだけ。別に新しい価値を持つ商品を生み出しているわけじゃない。

天然資源はそのままで価値を付けられているから、資源を確保すればいいだけだけれど、資源以外で経済活動をも生み出す価値の主体は人。個人がどれくらいの価値を生みだしていけるかは、個人がどこまで自由を確保できて、どこまで表現や研究をすることが許されるかにかかっている。

自由主義国家と社会主義国家では、価値を生むという観点からみれば、自由主義国家に凱歌があがることは言うまでもない。

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思想表現の自由、チャンスを与えてもらえる社会が、文化文明の土壌をつくり、あらたな価値を生む大地となる。

今の世界では、価値を生むことを推進できない国は、長い目でみれば衰退してゆく。

新しい価値を生み出せない社会は、富を得るために他所から価値の主体を持ってこなくちゃならない。

今の中国のように思想統制国家のままでは、文化力という意味では衰退してゆくしかない。中国人の優秀な留学生が海外留学したまま帰ってこないというのはそれを傍証してる。

中国が今の社会主義国家体制のまま覇権を握ると、おそらくは軍事力だけが突出して、経済力を生み出す源泉を持てない歪な覇権国になると思う。経済力の元となる価値を生む主体を招致するか、脅して奪いとることしかできない。

ただし、虎の子の軍事力限って言えば、国家戦略に沿った内容に特化して研究を進め、それに必要な人材を招致するぐらいは可能だろう。それでも研究内容以外での自由な発言、特に中国共産党批判にあたるような内容は一切封殺することは間違いない。

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今の社会で、覇権国家足りえる軍事力と経済力、および文化力を根底から支えるものは人。国が繁栄する根本は、個人個人の能力をいかに増大させ、またいかに優秀な人を集められるかにかかっている。

人材の確保と教育。それらを可能にする社会体制と風土。それらがないと長く覇権は維持できなくなる。

アメリカは衰えつつあるとはいえ、金に窮して、自国の優秀な人材を手放すようなことがなければ、肝心要の部分は保持できる。またいつか復活の目もあるかもしれない。

日本はまだまだアメリカほど民主の気風にはなっていないけれど、一定の範囲内で自由にさせてくれる。一定の範囲というのは官僚が築いた法律の塀の内側と言う意味。

海のものとも山のものとも分からないものに取り組むには難しい社会。そんな人は塀を乗り越えて海を渡る。アメリカもそんな人にこそオファーを出す。

塀の内側は結構ほったらかしで、外部からどんどん新しいものが入ってくる。結果、日本には、アマチュアの膨大な層ができた。これがプロを生む土壌となって、民間からあっと驚くものが出来たりもする。

だから、日本も価値を生む存在を嫉妬することなく、尊敬し応援できる風土にもっともっとなっていければ、まだまだ価値を生みだす潜在力を持てる。

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