縁起のレイヤーが結ぶ世界  《エピローグⅡ》 と 「中世の持つ意味」

エピローグのⅡです。6章から8章のまとめと、補追の2として「中世の持つ意味」をエントリーします。※文末に補追2「中世の持つ意味」をエントリー

※コメントは敬称略

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6.多民族国家の縁起レイヤー構成

概要:多民族国家では、それぞれ異なる色合いの「こま切れ」の下位レイヤーの布に上位レイヤーの一枚布を覆いかぶせて何とか国家の呈を成している。


コメント:マルコおいちゃん
日比野さん、こんにちは。
フランスなども他民族国家で、しかも帝国主義的締め付けはあるらしいのですが、それでもバラバラにならないのは文明そのものの魅力があるからでしょうか。
たとえばアルザスのドイツ系国民は、ドイツ語教育が許される現状には満足しているようです。独仏の密接な縦糸の絡まりあい、ということもあるのでしょうが、ドイツよりもフランスのほうが食物は美味しいし衣類のセンスもよろしい、というわけで、わたしがもしアルザス人なら、やはりフランスに留まりたい、と思うでしょう。
シナのいわゆる「少数民族」たちも、上記のような上位文明としてのシナ文明に憧憬を抱き主体的にシナ化する、ということもあったのです。これについては幾つかのエントリーで述べておきました。
米国もやはり(物質消費)文明の魅力がいまも多数の移民をひきつけているはずです。
この視角からすると、現代シナの劣位はあきらかで、いわゆる「少数民族」をこれ以上留めおくものは政治軍事的締め付けになるのは、まあ当然なのでしょうね。


コメント:日比野
マルコおいちゃんさん。こんばんは。
おっしゃるとおりだと思います。
ヨーロッパなどの歴史のある国々の多くは先進国であり、人間道以上に達していることから、上位・下位レイヤーとも活性化しています。さらにそこの最上位レイヤーである思想レイヤーは、その国の伝統文化はもちろん、歴史の風雪に耐えた、普遍的・世界的文化も縦糸で伝達します。
下位レイヤーレベルでは、民族大移動やら、侵略と破壊によって縦糸がところどころで寸断されてはいるのですが、最上位レイヤーで侵略者をも魅了し、破壊しえなかった伝統・芸術・文化が縦糸に流れています。無論侵略者の文化がその時代時代で横糸として編みこまれ、その中でさらに普遍的なものが後世へと受け継がれます。
ヨーロッパほどの歴史の厚みがある国々の最上位レイヤーの縦糸は結構強靭なものがあり、それゆえ魅力があり、帰属意識を高めるのだと思います。
ヨーロッパにおいてフランスは歴史的にも一大文明圏として主導的役割を果たした時期があり、そこで洗練された文化が縦糸になって残っていることが強さであり、魅力であろうかと思います。
現代シナの弱点はやはり、新しい文明文化を生み出せておらず、上位レイヤーとしての魅力に欠けるということだと思います。




7.中世化する世界

概要:世界は「新しい中世」に向かっている。それは、各レイヤーの横糸が密接に絡んで、個人の縁のネットワークが膨大になった姿であり、天道・人間道の国に至って漸く目にする姿でもある。


コメント:マルコおいちゃん
日比野さん、こんにちは。わたしはかねがね古代社会をいまにひきずるシナには、中世化が必要であると考えてきました。「暗黒の中世」などと俗に言われていますが、まったくの誤りで、中世あればこその近代であったわけです。中世を歴史的にもてたのは欧州と日本だけ、このことが近代化が可能かどうかの分かれ道であったと思います。
田中明彦氏の同書は未読です。さっそく取り寄せてみることにします。ご紹介ありがとうございました。


コメント:日比野
マルコおいちゃんさん、こんばんは。
中世社会の中で、庶民が多様な主体に帰属していった経験を積み重ねていったればこそ、国民主体の国家というものを想定することができるのかもしれませんね。
田中明彦氏の「新しい中世」は私も最近知って、つい年末年始に読んだばかりです。最近其処此処のブログで取り上げられていたので、取り寄せてみたのですが、面白かったです。というか読み進めるうちに、「国家の六道輪廻」と「縁起のレイヤー」理論とリンクしていると気付き、それに貴ブログのシナのエントリーと照らし合わせながら、今回のシリーズエントリーを書きました。
なので当初全7回の予定であったシリーズが倍近く長くなったのですが、振りかえってみるにつけ、これまでの考えを土台に更に考えを積み上げることができ、書きながらも楽しい思索体験をさせていただきました。




8.各レイヤーの接続問題

概要:国家間で縁起のレイヤーを接続する場合は通常上位レイヤーで行われるが、双方の上位レイヤーがどの程度活性化しているかに留意する必要がある。


コメント:マルコおいちゃん
日比野さん、こんにちは。この意味でEUは比較的容易な共同体が形成できるわけですね。とくに独仏のように歴史をさかのぼると一つの国になってしまうような場合は、より容易というわけです。
この視点からしても、シナと日本との、いわゆる「東アジア共同体」形成なるものが、いかに荒唐無稽な無理無体な実現不可能な絵空事であるかがわかるというものです。


コメント:日比野
こんばんは、マルコおいちゃんさん。
シナは過去をさかのぼっても縦糸が日本と交わっている部分もなく、横糸も緩いままです。それ以前に日本のような上位レイヤーはありませんから、接続は非常に困難だと思います。日本、あるいは世界も今は、経済レイヤーでシナと繋ごう、繋ごうとして、シナの半ば言いなりになっています。なぜかというと、商取引ルールなどのグローバルルールは日本を含む先進国が握っているものの、シナはその人口という数を頼りとした市場を見せつけて、逆圧力をかけているからです。売りたい一心の先進国側はそれに翻弄され、妥協を重ねています。
もし、「東アジア共同体」なるものを作りたいのであれば、経済レイヤーで行うのは止めて、中国からの逆圧力がかからないレイヤーのみで行うべきだと思います。たとえば、半ば冗談ですが、「東アジア《マンガ》共同体」であるとか。
日本のマンガ・アニメ文化は世界を席巻しています。はっきりいって中国など問題ではありません。その質と内容によって世界を魅了しているのですから、中国が何十億人と束になってかかってきたところで相手にならないのです。それは、中国のいまの体制では価値を生める社会ではないからです。
日本からはマンガ文化を輸出する一方で十分。中国がマネやパクリをいくらしたところで永遠に追いつくことはない。日本のマンガ・アニメには日本文化が詰まっていますから、日本のマンガに触れれば触れるほど、シナ人民自身が、シナと日本の差を痛感し、文化的に日本に追いつきたいと願っても一向に追いつけない現実を知るにつけ、自国の矛盾に気づく。これがまたシナの民主化への原動力のひとつにはなるのではないかと愚考します。


コメント:マルコおいちゃん
>シナ人民自身が、シナと日本の差を痛感し、文化的に日本に追いつきたいと願っても一向に追いつけない現実を知るにつけ、自国の矛盾に気づく

日本に追いつきたい、これは日清戦争以来のことでせうが、追いつけないゲンジツを前に、彼らは得意の自己欺瞞という安きについて反省する事がありませんでした。たぶんこれからもないでせう。
それもシナにおける「中国病」の一症状でせうから、結局はその病をいかに治癒するかという問題が民主化を含む全ての始まりであり、またゴールであるのではないでせうか?


コメント:日比野
>それもシナにおける「中国病」の一症状でせうから、結局はその病をいかに治癒するかという問題が民主化を含む全ての始まりであり、またゴールであるのではないでせうか?

まさにそこなのだと思います。ある意味、自分より進んだ文明に追いつきたくても追いつけない現実に対する嘆きに類するものは、どの時代、どの地域にもありましょう。シナ以外では、中東・アラブ圏もそういう嘆きがある/あったと思うのです。中世までは完全にヨーロッパを圧倒していたイスラム文明は、いまはアングロサクソン文明に完全に水をあけられました。
イスラム教が世界中で信者を増やしているといいますが、主にアフリカとアメリカの黒人社会での信者獲得が顕著と聞きます。ラマダンやメッカへの巡礼にみられるような、貴賎関係なしのある種の平等主義的なところが受け入れられているのかもしれません。
しかし、仮に世界の地獄餓鬼や畜生修羅といった国々が人間・天の段階に進んだとき、イスラム教がどこまでの力を持ち得るかについてはまだ分かりません。現代資本主義が絶対とはいいませんが、現代、そして未来社会を見据えたとき、自国の文明がそれについていけなくなったとしても、それを克服するのは最終的にその国自身の力です。
日本はその点、宗教的束縛が少ない社会であったこともあり、柔軟に対応することができましたし、これからも対応できると考えています。
要は国民が母国を良くしたいと願い、そうしてゆく行動ができうるか否かがカギであり、他国はただその手助けをするにすぎません。
シナは上位レイヤーと下位レイヤーの乖離が激しく、政府がいくら日本に追いつきたいと願ったところで、人民自身が個人の向上が国全体の向上に繋がる意識にならないと難しいと思います。
結局は縁起の糸をどれだけ多くのレイヤーで張り巡らせ、かつデータを少ない損失で伝送できるかに依るのだと思っています。


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● 中世の持つ意味 (縁起のレイヤーが結ぶ世界 補追2)
 
中世のもつ意味は意外と大きいのかもしれない。特に日本では中世から識字率が高く、縁起のネットワークが広く結ぶことができた。なぜかといえば、やはり情報伝達において文字の威力は絶大だから。

以前「知性の種類 (心と商品について その2)」で触れたけれど、知性の8つの種類のうち、言語的知性以外の知性は、人による表現力の差が大きい。だから縁起の糸を通過する間にその意味や内容が毀損することが多い。

たとえば、音楽的知性の情報や身体運動的知性の情報なんかは、音楽ができる人同士とか、運動能力が高い人同士であれば、なんとかうまく伝達できるかもしれないけれど、縁起の伝達ラインの途中に、ひとりでも出来ない人がいたら、そこで終わり。

だけど、文字情報は客観性があるから、いくら伝達しても情報そのものが毀損することが少ない。問題は受信側のコンテクストだけ。特に漢字のような表意文字は伝達そのものによる内容損失がものすごく少ない。

過去を振り返ってみれば、蓮如上人はあの有名な「御文(おふみ)」で、実際に門徒坊主達を結ぶネットワークを作った。1400年代の頃の話。

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広く世の中の人々に情報伝達ネットワークができあがると、それを介して様々な文化や優れた考えなどが広く伝播する。

たとえば、誰々のやった狂言は面白い、とか何処どこに南蛮渡来の珍しい品があるぞ、とか。

興味ある人は見に行くし、真似して自分もつくってみたりする。それがまた文化興隆に一役買った面もあるのではないか。

今もコミケでは、ヒット作の同人誌とか作ったり売ったりしているから、中世の庶民とやっていること自体あまりかわらない。

縁起ネットワークの充実がどのレイヤーで行われているか、また個人が各縁起レイヤーごとにどれだけのネットワークを結べるかが、国民国家形成の準備期間としての中世や、文化興隆期間としての中世を形作るのかもしれない。

中世ヨーロッパでは、日本ほど庶民の識字率は高くなかったから、庶民は文化の縁起ネットワークからは切り離されていた。ヨーロッパ中世では、文化芸術は上流階級のものだったけれど、それもこの文字伝達の縁起ネットワークが関係しているのではないだろうか。

これらの考察は、中世の文化交流を縁起のネットワークの視点から説明を試みただけのものだから、単なる仮説にしか過ぎないけれど、いずれ再考してみたいテーマではある。


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