世界調和の交響曲(縁起のレイヤーが結ぶ世界 最終回)

世界にはいろんな思考の型をもった文明圏が存在していて、それぞれの音色には特徴がある。

世界の文明を進歩型と調和型に分けると、西洋は進歩型だし、東洋は調和型になるだろう。当然その思考の楽器も進歩型と調和型に大きく分かれている。

曲調によって、楽器の向き不向きは当然あるだろうから、今は進歩の時代だと思えば、進歩型の楽器をメインの曲にすればいいし、ちょっと進歩が行きすぎて、調和が崩れてきていると思えば、調和型の曲を演奏すればいい。

たとえば地球環境問題に対して、これではいけない、もっと調和しないといけないと思ったら、調和型の楽器の独奏パートを入れてみるとか。

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今は世界各国が好き勝手に自分の楽器の音色を出しているだけだけど、世界一丸となって京都議定書を守ろう、と決めたならば、京都議定書の交響曲を思考のオーケストラが演奏し始める。そして曲が進むにしたがって、それが現実化していく。そうしようとして、そのように活動をするのだから当然のこと。

その意味では、言語が沢山ある地球は、いろんな思考の楽器でシンフォニーを奏でることができる可能性に満ちた星なのかもしれない。

世界平和を願っての記念コンサートなんかは、世界中でよく行われているけれど、思考のオーケストラは、まだ何のコンサートも行ってはいない。

思考はいつでもどこでも行われていて、常になんらかの音色を出しているのに、一緒に交響曲を演奏しようとは思われていない。

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だから、まず思考のオーケストラが目指すべきなのは、世界調和の交響曲を演奏しようと思うこと。進歩を目指すのであっても、調和を図るのであっても、オーケストラとしてきちんと交響曲を奏でれば、それは美しく、調和したもの。進歩の交響曲は勇気の詩(うた)、調和の交響曲は癒しの調べ。

自分の楽器の音色、相手の楽器の音色を相互理解によって知ること。そして今何を演奏すべきか考えること。交響曲がきまったら、協力して演奏しようと努めること。現象としての世界平和は、きっとその後に現れてくる。

だけど問題なのは、協力しようという段階にある国が少なすぎること。地獄・餓鬼・畜生・修羅の国ばかりだと、自分が生きてゆくということや、いい暮らしをしたいというのが全て。他国に目を向ける余裕はなかなか持てない。やはり国として天道・人間道あたりまでこないと、思考のオーケストラの一員として参加しにくい現実もある。

だから、本気で世界調和したいと思ったならば、世界調和の調べを演奏しようと働きかけるとともに、世界の地獄領域を減らしていく努力もしていかなくちゃいけない。日本の力を発揮できる部分はここにあるのだと思う。

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