『情』と『意』の翻訳と相互理解(縁起のレイヤーが結ぶ世界 その11)

建国神話があって、歴史が断絶せずに長く続いている国は、神話は単なる知識としての『知』だけではなくて、『情』や『意』の部分にまでしみこんでいく。

先祖はだれそれの家臣だったとか、近所に神話の神様を祭った祠があったりして、縁起の縦糸を肌で感じられるから。

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多民族国家を纏めていくには、横糸でうまく結ばないといけないといったけれど、下位レイヤーにおいて横糸を強くしようとしたら、相互理解を進めないといけない。『情』と『意』の部分をどれだけうまく翻訳して意思疎通できるかという問題。

普通、多民族国家で、言語も複数ある国では、公用語をどれかに決めて、それを基準に横糸の伝達を図ろうとする。テレビ放送や教育なんかで公用語を広めて意思疎通のプラットフォームを作る。そこで大切なのは、認知している対象にズレがないかということ。

コンテクストという概念がある。

コンテクストとは、コミュニケーションの場で使用される言葉や表現を定義付ける背景や状況そのもののこと。

例えば、ここに少し脚の高い「ちゃぶ台」があるとする。机のようにみえるし、箱か踏み台にもみえる「ちゃぶ台」だとする。

それを見てる2者がいるとして、一方が「ちゃぶ台の上の急須と湯呑み」と言ったとしても、もう一方がそれをちゃぶ台ではなくて机だとみていたとしたら、この2者間でのコミュニケーションはうまくいかなくなる。

このように相対的に定義が異なる言葉の場合、コミュニケーション者の間でその関係、背景や状況に対する認識が共有・同意されていなければ会話が成立しない。このような、コミュニケーションを成立させる共有情報をコンテクストという。

このように同じ言葉を使ったとしても、そこで意味する内容が、話す側と受け取る側で互いに違うものをイメージしていることがある。そうした場合、自分は自分で話が通じていると思っていても実際はそうではないことが多々起こりうる。

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そうしたとき、コンテクストのズレを最小に押さえ、かつ『情』や『意』の部分をなるべく損失なしで伝える方法として有効なのは、視覚情報を使うこと。映像を使うやり方が最も効果がある。

テレビや動画などを中心とした視覚情報は発信側の映像イメージをストレートに相手に伝える。画像の見せ方やストーリーの組み立て方によっては、情感さえもたっぷり伝えることができる。

視覚情報をも使った情報の伝達損失は、言葉だけのやりとりとは比較にならないくらい損失が少ないけれど、それでもコンテクストのズレを完全にゼロにすることはできない。発信側のイメージを損失なしで伝えられたとしても、受け取る方がそのまま受け取ってくれるとは限らないから。

情報は、受信側のコンテクストによって、主観的な強弱をつけて受け取られる。

結局のところ、コンテクストのズレを修正または補正するためには、互いに相手の背景や状況に対する理解がないといけない。相手の縦糸や横糸を読み取っていく試みが要求される。

相互理解を行うことで一番いいのは、自分の価値観が相対化されること。他の文化や思考形態を知ることで、自らの文明文化の価値観を客観化してゆける。

互いの違いとその関係がわかるということは、自己を調律して他者との調和を図るための下支えを作ることができるということを意味してる。

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