言語と国は一致するか(縁起のレイヤーが結ぶ世界 その10)

同一言語を使う相手同士では、知・情・意の伝達に関してそれほど問題は起こさないケースが多いけれど、言語やその背景となる伝統や文化、思考が異なる相手同士を接続するケースになると、更に考慮しないといけないことがある。翻訳の問題がそれ。

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言語が異なるもの同士で縁起のレイヤーを繋ぐ場合には、その間に翻訳を挟まないといけない。この翻訳時にしばしばおこるデータの損失や減衰が、縁起の糸を細くする。

翻訳の目的は意思疎通を行うため。知・情・意でいう『知』と『意』をいかに正確に翻訳できるかという点が一番大事。『情』の部分は言葉のちょっとしたニュアンスだとか、言葉の裏の意味だとかいろんな要素が絡んでくるから、なかなか正確に翻訳できない。ひどい場合だとまるまる欠落することさえある。

つまり、同一言語や同一文化圏内だと、知・情・意はそれぞれあまり損失なしで伝送が期待できるのだけど、間に翻訳が入ると途端に伝送効率が悪くなることを意味してる。

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これを縁起のレイヤーで考えると、上位レイヤーでは、『知』と『意』がメインで伝送されるデータだから、たとえ『情』に損失があっても、致命的にはならない事が多い。だけど、下位レイヤー、特に深い人間関係を築こうとするときには大きな困難にぶつかる可能性がある。言語が異なる下位レイヤー同士の接続では、縁を強く結ぶことはなかなか難しい。

言語と同一言語で構成される下位レイヤーの地域共同体は大体一致する。一致しないと『情』と『意』の部分がきちんと伝達できなくて縁の繋がりが弱くなる。バラバラになってゆく。

知・情・意の心の働きを互いに十分意思疎通できる言語・文化地域があって、そこに住む人々の集まりを国と呼ぶのであれば、「言語と国は一致する」と言っていい。でもそんな集団は往々にして、地方部族や民族別の集まりになる。

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