そのため、国民の国への帰属意識はだんだん希薄になってくる。国が黒子だから、その姿は意識されない。
国民ひとりひとりは下位レイヤー、上位レイヤーそれぞれで役目があって、それぞれで他人と繋がって活動している。ひとりがいろんな存在に帰属してるから、国はそれら沢山の帰属対象のひとつにまで埋没してる。
田中明彦・東京大学教授はその著書で今の世界情勢を
(1)非国家主体の重要度が増加
(2)自由主義的民主制というイデオロギーの勝利
(3)世界的な市場経済化が進む
という特徴をあげ、特に1,2が西洋中世の世界に近いことから「新しい中世」と名づけ、世界は、多様な主体が複雑な関係を取り結ぶような世界システムへと変化しつつあると指摘している。
また、世界を、「新しい中世」の傾向が顕著にみられる第一圏域(新中世圏)、「近代」的国際関係が優越している第二圏域(近代圏)、グローバリゼーションに参加する基盤さえ崩壊しつつある第三圏域(混沌圏)という3つの圏域から世界が成り立っているという見方も提示している。
これらを六道輪廻の段階に引き当てて考えてみると、
第一圏域(新中世圏)=天道・人間道
第二圏域(近代圏) =修羅・畜生道
第三圏域(混沌圏) =餓鬼・地獄道
に対応するのだと思う。
多様な主体が複雑な関係を取り結ぶ世界というのは、縁起のレイヤーからみれば、個人がそれぞれの縁起レイヤーで、それぞれ別個の縁起ネットワークを結ぶ姿と同じと言っていい。
つまり「新しい中世」とは各レイヤーの横糸が密接に絡んで、個人の縁のネットワークが膨大になった姿ともいえる。各レイヤーが十分に活性化している天道・人間道の国、いわゆる第一圏域(新中世圏)に至って漸く目にする姿。
田中明彦教授によれば、第一圏域では、社会契約の純化が行われ、ナショナリズムは不要になっていくという。縁起の横糸でデータ損失や減衰のない純粋な通信が行われるから、縦糸を強調するようなナショナリズムはいらなくなるということ。

この記事へのコメント
日比野
中世社会の中で、庶民が多様な主体に帰属していった経験を積み重ねていったればこそ、国民主体の国家というものを想定することができるのかもしれませんね。
田中明彦氏の「新しい中世」は私も最近知って、つい年末年始に読んだばかりです。最近其処此処のブログで取り上げられていたので、取り寄せてみたのですが、面白かったです。というか読み進めるうちに、「国家の六道輪廻」と「縁起のレイヤー」理論とリンクしていると気付き、それに貴ブログのシナのエントリーと照らし合わせながら、今回のシリーズエントリーを書きました。
なので当初全7回の予定であったシリーズが倍近く長くなったのですが、振りかえってみるにつけ、これまでの考えを土台に更に考えを積み上げることができ、書きながらも楽しい思索体験をさせていただきました。
あと6回ありますが、今回からおおきくこのシリーズの後半部分にうつっていきます。
マルコおいちゃん
こんにちは。わたしはかねがね古代社会をいまにひきずるシナには、中世化が必要であると考えてきました。「暗黒の中世」などと俗に言われていますが、まったくの誤りで、中世あればこその近代であったわけです。中世を歴史的にもてたのは欧州と日本だけ、このことが近代化が可能かどうかの分かれ道であったと思います。
田中明彦氏の同書は未読です。さっそく取り寄せてみることにします。ご紹介ありがとうございました。