中国という国は相互信頼度が低く、騙す騙されるの社会だから、互いの通信データがエラーだらけ。各々はエラー訂正したり、ID確認したり、時には通信遮断したりさえする。もちろんデータ転送効率はとても悪い。政府がどんなに大出力でデータを伝送したとしても、途中でどんどん減衰して、人民に届くころには消えてなくなる。特に経済レイヤーでは顕著。
中国で唯一機能している縁起のレイヤーは、最下位レイヤーである血縁レイヤー。これは血のつながっている縁(宗族)はもちろんのこと、血より濃い「義兄弟」の契りを結んだ縁のレイヤーという意味合いも含まれる。「宗族・幇(パン)」のレイヤー。
このレイヤーだけが中国で有効なレイヤー。このレイヤーで裏切りは許されない。一度でも裏切ったら最後、宗族・幇のネットワークから叩き出されて、生きて行けなくなる。
中国には、基本的にこの最下位レイヤーしかない。その上層に人民は存在していない。上層には、政府の息のかかったとか、地元の有力者とかのごくごく少数の特権階級がいるだけで、彼らを政府が最上位のレイヤーから繋いでいるだけ。いわば網のようなもの。織物といえるほどの密度はない。
だから中国社会は、最下位レイヤーに強固な「宗族・幇」のレイヤーがあって、その上は織物ではなくて、網が3層にかかっているだけ。国といえるかどうかは疑わしい。
勝海舟は、氷川清話でこう語っている。
「シナ人は一体気分が大きい。日本では戦争に勝ったといって、大騒ぎをやったけれども、シナ人は、天子が代わろうが、戦争に負けようが、ほとんど馬耳東風で、はぁ天子が代わったのか、はぁ日本が勝ったのか、などいって平気でいる。
それもそのはずさ。一つの帝室が滅んで、他の皇室の代わろうが、国が滅んで他国の領分になろうが、一体の社会は依然として旧態を存しているのだからのう。社会というものは、国家の興亡には少しも関係しないよ。」
「全体、シナを日本と同じように見るのが大違いだ。 日本は立派な国家だけれども、シナは国家ではない。あれはただの人民の社会だ。政治などはどうなってもかまわない。自分の利益さえ得れば、それでシナ人は満足するのだ。 」
中国人にとって、「宗族・幇」以外のレイヤーは社会じゃない。自分には全くの関係ない夢の世界と同じ。だからやりたい放題の無法地帯。自分に関係のない世界の出来事だから、なにが起ころうが意にも介さない。
今の中国は、目覚ましい経済発展を遂げているから、経済レイヤーも活性化していると見ることもできるかもしれないけれど、実際のところ、経済レイヤーの糸は繋がっては切れる、有って無いような状態だと思う。
改革開放路線で経済レイヤーそのものに、人民が進入できるようになったものの、まだまだ自分と経済レイヤーは関係ない世界だと思ってる。
自分だけ儲かればいいという意識でいるものだから、経済レイヤーを自分の住む社会というよりは、金という名の小魚の大群がうようよいる漁場に出ている感覚。狙うは一攫大漁。獲ったもの勝ち。手段なんか気にしない。
結局、相互信頼のある、データ損失の少ない層だけが人と人を繋げ、人を動かす縁起のレイヤーとして機能するのであって、それがない層はただのみせかけ。そんな層にいくらデータを送り込んだところで相手がちっとも受信しないのだから意味がない。

この記事へのコメント
藤田達男
シナの本質は文中の勝海舟が指摘している通りなのに、現在の政財官界は全く忘却し切っているようですね。
日比野
>現在の政財官界は全く忘却し切っているようですね。
100年前と何も変わっておらず、そのとおりの姿を晒しているのに。。。
いくらでも打つ手はあるように思えます。
マルコおいちゃん
こんにちは。同じ結論でも、アプローチの仕方でずいぶんちがった印象になるものですね。
シナには元来、天下だけがあって国家がなかった。「国家」という言葉自体が日本語からの輸入以前は、「公的生活と私生活」、「皇帝」などという意味で使用されていたわけです。それゆえ「国民」というこれも日本語起源の概念を充填する現実もありません、ただ人民が存在するのみであること現在も基本的変化はありません。勝海舟の指摘どおりです。
「国民国家」建設を目指して失敗を重ねるシナにおける政権は、国民党、共産党をとわず、歴史哲学が欠乏しているか、まったく誤った方角に運用しているかでしょう。それもシナの「中国病」のせいです。
日米欧に留学するシナ人諸君の虚心坦懐な思索と探索を希望するのですが・・・
ナルト
コメントでも言われておりますが、アプローチが違い、印象も変化しますが、結論が同じところに来るのは、まさにシナがそうだからとしか言えませんね。
マルコおいちゃん氏との一連のコメントも含めて勉強になります。