期限切れリスクの適正化(食品偽装問題について 後編)

消費者はこれからも表示に対する信頼性を要求していくのだろうけれど、さらに、表示内容に対する、適正水準の見直しの声も出てくるのかもしれない。

適正水準とは、賞味期限の基準をどこまで緩和するのが適切かという問題。実際ほとんどの人は賞味期限を過ぎても食べてなんともなかった経験を持っていると思う。

今の賞味期限、消費期限を厳しすぎると考える人も少なからずいるはず。

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消費・賞味期限を決めるのは製造・加工業者が原則。食品の粘り具合や濁り具合、比重、大腸菌などの微生物数を調べたり、視覚、味覚、嗅覚を働かせて傷み具合を試験してる。

食品会社は自分の食品の品質問題で消費者に訴えられたくないから、消費・賞味期限をうんと厳しくするものだけれど、そういう決め方の妥当性についての検討が必要なのかもしれない。

スーパーなんかで閉店時間間際に、賞味期限が当日のものなどは、売り切りたいものだから、値段を20円引きとか100円引きでよく売ったりするけれど、そういうものを制度として許すかという問題。

暴論だとは思うけれど、たとえば、賞味期限を3倍くらいに緩和して、賞味期限をグレード別に分ける。グレード1がこれまでの基準で定価販売。グレード2が賞味期限切れだけど3~5日程度の期限切れで値段は半分。グレード3は1週間以上の期限切れで値段は十分の一くらいにするとか。

鮮度にこだわる人は定価でグレード1を買えばいいし、若くて胃腸が丈夫で、食えればなんでもいいんだというくらいタフな人は、グレード2でも3でも安く買えばいい。安全に対するリスクの一部を消費者に負ってもらう。

要は安全性に対する保障を100%企業に求めるのか、多少なりとも消費者がリスクを負うような体制を社会として容認するかどうかという問題。

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もしこういうことが実現すると、安全性に対しても、「高かろう良かろう」「安かろう悪かろう」が定着していって、自分の身は自分で責任を負うという風潮が浸透してゆく。それがまた一層、食の安全に対するリテラシーを醸成してゆく。

いずれにせよ、その時に大切なのは情報をオープンにすること。下手に隠すのではなく、この品質であればこの値段になります、とはっきりさせたほうが信頼を得られる。特に日本ではそう。どこかの国のように毒を入れるのは論外だけど。

不二家にしても、赤福にしても、期限切れで集団食中毒とか起こしたとかは聞かない。だから日本の食品衛生と品質の基準はものすごく厳しくて、それはそれで素晴らしいのだけど、真面目にそのとおりすると、今のデフレ社会では、とてもじゃないけれど利益がでないくらい厳しいのだろう。

現実に食品会社がそれについていけなくなってきていて、不二家や赤福や吉兆で単に、それが明らかになっているだけなのかもしれない。

本当に基準そのものが厳しすぎるのであれば、その基準を現実と照らし合わせて適正化していくことは、ひとつの考えではないかとは思う。

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